真賀田四季という人物の、過去のエピソードを語った物語です。
彼女が少女の頃、何を考え、何を感じ、どう行動していったかという主観の視点の物語を、客観的な一人称を透して綴られています。
普通に読んだ解釈を記します。
四季は多重人格者であり、彼女の中に「栗本基志雄」という人格がいる。
真賀田基志雄という四季の兄が実在し、彼も多重人格者であり、彼の中にも名のない「透明人間」というアイデンティティーを持つ人格が存在する。
阪元という看護婦の謎の死をキッカケに、四季と真賀田基志雄は別々の生活を始め、真賀田基志雄は転居先で殺人を犯してしまう。
また何年か後、真賀田基志雄は実の母に再会し、殺害。そして自殺。
同時に「栗本基志雄」という人格も消滅。
という物語を、「栗本基志雄」と「透明人間」の二人の「僕」という視点で語られている。
この解釈がおそらく一般的であり、唯一無二の解釈であるようにも思えます。しかし私は、この物語は本当にその解釈でいいのだろうかと疑問に思いましたので、別の解釈で深読みしてみました。それを記そうと思います。
コメントをお書きください
ふみ (日曜日, 22 3月 2015 12:35)
深読みを読んですごいすっきりしました。
ありがとうございます!
gultonhreabjencehwev (日曜日, 22 3月 2015 21:22)
こちらこそ、読んでくださってありがとうございました!
スゴイ嬉しいですw
あーちゃん (金曜日, 02 12月 2016 21:34)
素晴らしいですね。
スッキリしました。
gultonhreabjencehwev (日曜日, 04 12月 2016 18:30)
コメントアンド上級の誉め言葉、ありがとうございます!
うれすぃ!
のん (火曜日, 12 12月 2017 19:00)
先ほどこの作品を初めて読み、???となったので検索してたどり着きました。
素晴らしい解釈でした!よくわかりました。ありがとうございます(*^^*)
gultonhreabjencehwev (日曜日, 17 12月 2017 20:16)
コメントありがとうございます!
こちらこそ読んでいただいて感謝です!m(__)m
ADG (日曜日, 13 1月 2019 06:17)
面白い考察でした。ただ、「私自身は、私の頭の中には入らない」という四季の台詞から考えると、四季がいる状況において妄想を事実のようにシミュレートすることは不可能なのではないでしょうか?
ADG (日曜日, 13 1月 2019 06:48)
あと、西之園博士のジョークの意味は、産んだのは母親ってことです。父親は産めませんから。
gultonhreabjencehwev (月曜日, 14 1月 2019 19:50)
コメントありがとうございます~(*^^*)
「私自身は、私の頭の中には入らない」がどこででてきたか覚えてないですけど、四季がいる状況において妄想を事実のようにシミュレートすることを否定している意味合いで使われているという考えはなかったように思います。個人的には「多重人格を一括りにできない」って意味が主っぽく思えますけど。。。仮に否定しているとして、それはどんな理屈になるのだろう?ちょっとわかりませんでした。
それに、四季が妄想を事実のようにシミュレートしているところなんてありましたっけ?栗本其志雄視点じゃなくてですか?
もういっこの方は、ジョークの意味をここで説明されても困りますw
捉え方の問題だと書いたつもりだし、もっというと一個目のご指摘も同じなんですけど、ひとつのセリフ、ひとつのシーンに、ひとつの意味しかないと捉えることは、この物語にふさわしくないんじゃないかなと思う次第です。
多面的多角的に捉えて、その中心がどこなのかってことをみつける物語だと思ってます!
あくまで、個人的にですけどねw
みち (木曜日, 17 11月 2022 12:40)
深読み考察面白いですね!なるほど!と思うところが沢山ありました。
ただ、終盤の、千代子は子宝に恵まれず「百合子が四季と基志雄の双子を産んだ」となると、実際に基志雄は存在したことになりませんか?
早々に亡くなってしまった、とかの可能性もあるのかとか色々想像は膨らんで、どう考えられてるのか少し気になりました!
gultonhreabjencehwev (土曜日, 19 11月 2022 19:52)
コメントありがとうございます!
早々に亡くなってしまった、みたいなセンかなと想像してます!森川の例のように死んだ人を取り込んでいるみたいな、早期に亡くした兄を自分の中で再現したみたいな、彼らは死んでない私の中で生き続けているみたいな、そういうタイプの多重人格かな~って。