深読み1

真賀田四季という人物はまちがいなく、愛という概念のまえでは愚鈍に成り下がっています。物語中の記述で、彼女が天才であるというエピソードが山ほどあるにもかかわらず、彼女が愛によって自身をコントロール不能になっていく様がありありと描かれています。

正直に言わせてもらえるなら、陳腐な設定だなと思いました。彼女ほどの天才なら、愛なんて「生存本能によって種の保存を優先するDNAがどうたらこうたら」といううんちくで、どうとでもなる幻想だと断じてしまってもいいようなものです。どうやら、彼女のような天才的な頭脳をもってしても、愛という観念はコントロールできるようなものではない、尊いものであると言いたいようです。

 

しかし、そのような彼女の価値を貶めるような視点で彼女を観測した時、はじめて物語の全容が視えてくるのではないかと思います。

 

まず、彼女の実の兄真賀田基志雄についてです。彼は実の母を首を絞めて殺害するのですが、その動機は、死とは生という束縛からの解放であり素晴らしいことであるから、母を殺し自殺することでいつまでも母と一緒にいられるという想いで実行したと思われます。天才(あるいは狂人)の理屈ですね。物語全体の描写が、彼がそう考えたとしても不思議はないような記述で構成されていますので、それで納得してしまいがちです。

しかし、「天才の考えることはよう分からん」ではなく「天才でも愛には翻弄される」という視点で視ると、この事件は様相を変えます。

私は彼には母を殺す動機が本当はないとみました。殺害の動機があるのはむしろ四季のほうです。

 

*第5章 四季の過去を思い返す「栗本基志雄」の視点の記述

何年もまえの、春? それとも初夏。

場所は、そう……、別荘の近くの高原。

近くに、四季の父親と、もう一人、見知らぬ女がいた。

あれは誰だったろう。(中略)

揺れる無数の小さな花。

その花たちを、四季は一つずつ摘んで、そして捨てる。

それを繰り返し、いつまでもやめなかった。

 

四季は幼いころ、真賀田基志雄の母「百合子・クリムト」に会っています。そしてあきらかに怒っていました。なぜか。それは父親が、自分の母である美千代ではない女性と親しくしていたからです。

四季は、彼女に強い殺意を覚えたのです。その感情を自分の中で処理しきれなかった四季は、新たな人格を生みだし、「愛する父親を誘惑する女を許せない」と思っているのは自分ではない、という思考に辿りつくことに成功しました。そのために生み出されたのが「真賀田基志雄」という人格です。「栗本基志雄」ではありません。物語に登場する、実在する兄「真賀田基志雄」は実は存在しないそれもすべて四季の中の人格であると、私は読みました。

 

「真賀田基志雄」は、百合子を殺すためだけに生み出された人格であるため、普段は表に出てきません。しかし百合子を探し出すため、四季に知られずに調査をする必要がありました。そのために「真賀田基志雄」から生み出された人格が「透明人間」です。四季は最初「透明人間」を把握していませんでした。自分の中の人格は、「真賀田基志雄」と「栗本基志雄」だけだと思っていたのです。あくまで「透明人間」の主人格は四季ではなく「真賀田基志雄」だということでしょう。それを四季が見つけるところが物語の序盤で描かれているところなのです。

百合子の居場所を調査するというのは、父親の不倫相手を知るということです。四季はその不倫相手の正体を知らなかったのです。しかし物語の終盤「栗本→クリムト」から正体を知った「真賀田基志雄」は百合子に再会し、殺人を実行しました。

 

*第6章 殺人現場の状況

ドアは開かなかった。

「基志雄!」四季は叫んだ。

森閑とした暗闇に響く。

男たちが、体当たりしても、頑強なドアはびくともしない。(中略)

ドアの隙間にバールを押し込む。

軋む音。(中略)

ドアのロックが壊れる。

隙間が開き、足許に灯りが落ちる。

ドアはフリーになった。(中略)

各務は四季を連れて、室内に入る。

奥。

ソファに。

女が倒れていた。(中略)

さらに奥。

部屋のコーナ。

そこには暖炉があった。

斜めの梁が、壁から突き出し、煙突の配管がその間を抜けて繋がっていた。

 

現場は密室のように思われますが、そうではありません。煙突を通じ、脱出することが可能なのです。事件の流れとしては、まず四季の中で「真賀田基志雄」が表に出ていて、現場で百合子を殺害します。そして密室から脱出してホテルに戻るところで、人格としての四季が覚醒し、四季として再び現場に向かったというシーンが、第三の事件の全容だと思われます。

ちなみに「真賀田基志雄」の送り迎えは各務がしました。なので、四季が覚醒してすぐ各務に連絡を取り、迎えにこさせたときに、各務がすぐそばにいたという事実が、前記の行動が行われたことの暗示になっています。

 

さてここで問題になるのが、四季の体力です。病弱な男の子として描写される「真賀田基志雄」ですが、むしろその病弱さは四季のほうに当てはまります。

 

*第1章 四季三歳時

その頃には、父親の書斎に入って、彼女は片っ端から本を読んでいたのだ。父親が、どの本が一番面白いか、と尋ねると、彼女はデスクの上に出ていたある分厚い本を差した。

「椅子にのって、一度だけ読みました。お父様はいつも、席を立たれたあとは、椅子をお戻しになりますから、そういう場合には椅子の上にのることができません。ただ一度だけ、お客様がいらっしゃったときに、椅子が横を向いたままでした。そのときだけ、私は椅子にのることができたのです」

 

*第4章 遊園地で遊ぶ四季

回転木馬が近づいてきた。(中略)

「これにするわ」彼女は嬉しそうな顔で言う。声も弾んでいる。どちらも完全に作られたものだ。

係の人間は手助けして、四季を馬の上に座らせた。

「気をつけて下さい。絶対に手を離さないように」別の大人が言った。

 

*第5章 浅埜とともに窓から部屋に戻る四季

「大変申し訳ありませんが、また、窓を通っていただかないと」(中略)

彼は窓を静かに開ける。

「さあ、お願いします。気をつけて」浅埜は窓から身を乗り出し、両手を四季に差し出した。四季は彼に抱かれ、軽々と持ち上げられる。

 

どれだけ重くて大きい椅子なのかは分かりませんが、椅子を動かしてその上に乗ればいいのに、それができないようです。メリーゴーランドに乗せてもらっても、心配されっぱなしです。窓から部屋に戻るにも、自力ではできないようです。

これ以外にも、例えば病院でアイスホッケーのような遊びをしていた子どもたちが、四季に「審判をしてもらおう」などと発言していることからも、彼女の運動能力が著しく低いことは周知の事実だったようです。病院にいることが多かったのも、このことが関係していると予想できます。

 

ではそんな彼女が、人の首を絞めて煙突から脱出することなんてできるのでしょうか。できるのです。それを紐解くカギは、第二の事件に隠されています。

 

第二の事件は、「真賀田基志雄」がアメリカで女性の浮浪者を殺害してしまった事件です。この時、屋敷にある意味閉じ込められていた彼が、どうやって屋敷を抜け出したのかがよくわかっていません。玄関やゲートには監視カメラがあり、それをすり抜けるためには塀をよじ登るしかありません。

おそらく、四季の身体能力を甘く見ていた親族は、塀をよじ登ることはできないだろうと見くびっていたのではないでしょうか。そのためそこにはカメラを取り付けず、結果そこから抜け出すことに成功したのです。

少なくとも、服を袋に入れて塀の向こうに投げたことは彼の証言で明らかですが、この行動は前記の通り、四季には難しいと思われる行為です。つまり、人格によって身体能力を変えることがあるのです。「真賀田基志雄」の人格は、おそらく人並みの運動神経を持ち合わせていると思われます。煙草も吸いますから、決して病弱ではないでしょう。自身は四季の体を母体にしているため、病弱だと思い込んでいるだけなのですね。

なので、甘く見積もっていた親族によって設定された、大して高くない塀をよじ登って外界へ抜け出すことができるのです。

 

「真賀田基志雄」を生みだした理由のひとつに、人格によって身体能力を変えられることも含まれていると思われます。四季は百合子に殺意を抱きましたが、実際に自身の病的な運動能力の低さでは難しいと思ったのでしょう。新たに別人格を生み出すことによって、その障害を取り除くことに成功したものと思われます。

 

これらの仮定を以って第三の事件を視てみれば、百合子殺害が可能であることが分かると思います。塀をよじ登ることができるのですから、殺害後、煙突から脱出することもできるのです。

そして、百合子殺害がその人格が生み出された目的であったため、役目を終えた「真賀田基志雄」は人格死しました。それが現場で自殺したように描写される「真賀田基志雄」の真実です。実際には現場に「真賀田基志雄」はいません。いるように視える「栗本基志雄」の視点から、人格死が実際の自殺のように視えたことを描写したにすぎないのです。

 

 

 

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