これを記したかったから始めたコーナーといえるセクションです。
前項では、オーヴァンのしたかったこととその結末について綴りました。ここでは、オーヴァンの真実について追求します。
――汝につきまとうものあり。
そのもの、およそ汝には耐えがたく、受け入れがたきものなり。
されど、汝とは不可分の
そのものの名を喝えよ。
碑文になぞらえて出されるこの問いに、ハセヲは答えを出しました。「影」と。その前にもう一つ、「力」だとも言っています。カイトにとっても自身の操る腕輪というイリーガルな力こそ受け入れがたきものだった、と。ハセヲにとっても、自身の「影」であるスケイスは「力」でもあるゆえに。
するとオーヴァンはそれに対し、「おれの真実だ」と答えました。
耐えがたく受け入れがたきものとは、「影」であり「力」であり「オーヴァンの真実」でもあるというのですね。
「影」であり「力」であるものとは、自分の影、自分の無意識のことながら、それを総括して自己であるがゆえに不可分であり、またその影の部分に力が備わってしまったがゆえに耐えがたいものであると、そしてそれらはすべてオーヴァンにとっては真実であると。
オーヴァンの真実とは何でしょう。彼の告白の中に、耐えがたく受け入れがたい自分の真実なんてあったでしょうか。愛奈の喪失でしょう、と結論づけるのは早計です。なぜか。
例えばハセヲです。彼は志乃を失いました。その失った心の虚に力を宿しました。そのことは「ハセヲの真実」といえるでしょうか。いえ違います。「ハセヲの事実」に過ぎません。オーヴァンによって暴かれてしまった「ハセヲの真実」とは、志乃にフラれ、彼女を憎み、それでも彼女を救うことでその負の気持ちにフタをしようとしたこと、です。
オーヴァンに関しても同じです。愛奈の喪失とは、「オーヴァンの事実」に過ぎないのではないでしょうか。彼自身も言っているではないですか。
「娘の死の実相と、犬童雅人の家庭の事情は、おれの家族の尊厳のために口を噤もう。知りたければ、あとで調べればいい。今、おまえが下世話な連想をしたようなことで、一つ一つの事実の点描としては、大筋まちがってはいないはずだ」真実はともかくな――
彼は、告白をするにも真実はひたすら隠す、根が臆病な人間です。事実しか話さないのです。彼の告白では、真実は何一つ語っていない。隠し通したのです。それを暴きます。
彼が言葉を濁した場面に、志乃殺しがあります。これについても彼は「AIDAに聞け」とか「覚えていない」とか「おまえは逐一自分の感情を的確に論述できるのか」とか言って逃げました。心の喪失に巣くい、理性のタガを外してプレイヤーを間接的にあやつるのがAIDA。ですからAIDAによるPKとは、AIDA側の理屈で説明することができるのと同時に、感染したプレイヤー自身の理屈でも説明が可能なはずです。榊とアトリによる襲撃事件も、AIDAが人体実験の目的で起こしたといえるのと同時に、榊の理屈で、アトリの理屈で、みずからの欲のために起こした事件であると解釈することもできます。AIDAは、それにいわばキッカケを与えたにすぎないのです。それと同じです。
つまりAIDAによる志乃殺しは、AIDA側の理屈ではなくオーヴァンの理屈でも説明が可能なのです。「AIDAがオーヴァンを操って殺させた」という意味であるのと同時に、「オーヴァンの何らかの感情が増幅した結果、殺してしまった」という意味もあるのです。殺したのはあくまでプレイヤー、オーヴァンなのです。
オーヴァンのどのような想いが、志乃殺しへと駆りたてたのでしょう?意味が分かりませんね。ここは帰納的推論として留めるだけとしましょう。
もう一つ不可解なシーンがあります。アイナのPKです。
記述によれば、まずいきなりAIDAが現れてアイナを食らい尽くしたのち、オーヴァンに感染した、とあります。しかしそれを真っ向から否定する記述が存在するのです。ハセヲがのちにこう語っています。
さきほど垣間見た、AIDAによるアイナPKの記憶は――あれは犬童雅人ではない、犬童愛奈の記憶ではなかったか。
さて、おかしな個所に気付きましたでしょうか。アイナPKの経緯の記述が愛奈の記憶であるならば、あってはならない描写があるのです。それは最後、オーヴァンがAIDAに感染して絶叫を上げるシーンです。
オーヴァンがAIDAに寄生されて苦しむシーンを、彼女が見れるはずがありません。なぜなら、そのときアイナはすでにAIDAに食らい尽くされてしまっているからです。にもかかわらずそのシーンを愛奈の記憶として語られているということは、愛奈はそれを目撃していることになります。どういうことか。
記憶の混乱、というやつでしょうか。あるいは阿頼耶識の種子として溶け込んだ記憶ですから、オーヴァンが意図的かもしくは無意識に編集したのか。このときの事実は、オーヴァンへの寄生が最初で、のちにアイナPKという順番が正しい順序だったのではないでしょうか。であれば、愛奈の記憶にオーヴァンが絶叫を上げるシーンが含まれていることに説明がつきます。
つまりアイナは、いきなりAIDAにPKされたわけではなく、感染したオーヴァンにPKされたというわけです。ということは。
さあ志乃殺しのときと同じ論調になりましたね。「アイナ殺しは、オーヴァンの理屈でも説明できる」という恐ろしい結論になりました。
どういうことなんでしょうね。オーヴァンが娘を溺愛しているのは、疑いようのないことのように思えるのですが、その彼のどの感情が、どの情動が、アイナをPKする行為に至らせたのでしょう…。
「人が、人にむける想いとは……」
「愛するとは、なんだろうな」
「愛するとは憎むことだ……。ちがうか?ハセヲ――三崎亮」
オーヴァンのセリフです。愛とは負の感情、負のベクトルだと言っています。これをオーヴァンとアイナの関係にあてはめると…。
――愛奈……淋しい思いをさせて、すまない。
おとうさんは、娘と同じ名前の、わたしのPCを呼んだ。
淋しい。
淋しいのはおとうさんのくせに。子供扱いして、わたしのせいにするのは、ずるい。
オーヴァンは淋しかった。愛奈と会えないのが。アイナと The World でしか会えないのが。
「犬童雅人は娘に対する親権を失っていた」令子は答えた。「別居して、妻とは離婚調停中だった。娘に近寄ることも裁判所に禁止されていた。彼は、離婚を認めようとはしていなかったけど……」
リアルで会うことはできなかった。 The World で毎日会えるわけでもない。娘がゲームに飽きた瞬間に会えなくなる。娘が大人になれば、会うことができなくなるのが目に見えていた…。
会えなくなるくらいなら
拒絶されるくらいなら
殺してしまえ
まさにハセヲと同じ色彩の感情です。志乃に拒絶されたことにより、愛情の裏返しで憎しみを抱いてしまったハセヲと同じく、オーヴァンは愛奈に拒絶される未来に、無意識下に憎しみを抱いてしまっていたのではないでしょうか。それは、愛奈への愛情が強ければ強いほど、憎しみの感情もまた最大級に大きいものだったのでしょう。その感情をAIDAによって刺激され、呼び起こされてしまった。
AIDAに寄生された瞬間に、おそらく彼はAIDAの声を聴いたのです。
――愛奈とリアルで会う方法を教えてあげようか
AIDAの力は、プレイヤーの意識を The World 内に引きずり込む力。全プレイヤーが意識不明になったときのようなAIDAサーバー事件も、AIDAによるPKが意識不明を引き起こすことも、AIDAの力が意識を肉体からひきはがし、 The World 内に引き込むことができるものであることを証明しています。
ゆえにアイナをAIDAの力でPKすることは、愛奈の意識、愛奈がアイナであるという自我を、普段の生活している世界からこのゲームの世界に連れてくることに同義であり、それは一生会うことができないはずのリアルの愛奈と、アイナとしてではなく愛奈としてオーヴァンが会うことができる方法となりえたのです。
その言葉がオーヴァンに、アイナを殺すことに対しての理由づけに、大義名分になってしまったとき、それを実行することの躊躇という理性のタガを外してしまったのです…。
これこそがオーヴァンにとっての真実、耐えがたく受け入れがたきものであるが、自分の影、自分の無意識のことであるがゆえに、自分とは不可分の事象。自分が愛奈を殺したいと思って殺してしまったことこそが、彼の耐えがたく受け入れがたい真実だったのです。
これぞまさに「魔が差した」といえるようなできごとだったのでしょう。しかしそれは、AIDAが愛奈を殺したと言い訳できるような状況ではなく、間違いなくオーヴァンの中の想いが引き起こした殺人であり、そのことはオーヴァンが一番よくわかっていたのです。
しかし彼はくじけなかった。現状否定はしなかった。自分がしたことに目を背けることなく、なお自我を肯定し、虚無に抗するための強い心、霊的な精神力を以って、まずアイナに刺さった毒矢を抜こうとしたのです。強いですね。
そして半年後、彼は再び絶望の淵へと追いやられます。愛奈の肉体的な死です。
「この娘の抜け殻を見ることが耐えがたくなった。光明は失われて暗い絶望に苛まれた。死が扉を叩き、怨嗟にふるえながら、ついに抗しがたくオーヴァンは倒れた。無力ゆえに我が精神力は強靭さを失い、あっけなく折れた。胸が破れ、泡の血を吐くほどの心の苦しみのあまりに、逃れたいと……救われたいと女にすがった。おれは志乃に――あの聖堂で志乃に告白した」
「告白とは恥ずべき秘密を打ちあけることだ。おれは懺悔した。ところが祭壇には、肝心の女神様がいなかった。だから志乃に告白した。誰かに聞いてもらわなければ、折れた心がどうにかなってしまいそうだった。」
「志乃は……なんて応えた」
「赦しもせず、諭しも慰めもしなかった。沈黙した……利口な女だからな」
まず余談ですが、志乃への告白の内容は、上記の真実を語ったものだと思われます。「娘がAIDAにPKされ、彼女を救うためにギルドを作ったけど、娘はもう死んでしまったんだ」という事実の告白だけでは「懺悔」になってませんし、それを知らされた志乃にとっては、「赦す」もなにもないと思われるからです。娘いたんだ、結婚してたんだ、と思ったとしても、それは志乃が赦す赦さないの問題ではないですし、奥さんと離婚調停中なら自分にもまだチャンスありじゃないかと考えられるでしょうから。「自分が娘を一時の気の迷いで殺してしまったんだ」という告白であれば「懺悔」に値する告白になりえます。
それを踏まえた上で、その直後に志乃をPKしたのはどうしてなのかを考えてみましょう。
「知りたければAIDAに訊け……と、いいたいところだが。愛奈の喪失――おれがアバターを映した心の虚は、娘の肉体の死によって、逆に、灰と骨の墓石で埋められてしまったんだ。完全になくなってしまえば、それは、もう虚ですらなくなる。この安楽椅子のアイナが、おれにとって希望の光明から絶望の残滓になり果ててしまったとき、埋めるべき喪失は、見るに堪えない苦しみの刺に変わった。物語の凹凸は転覆した」
虫は穴を掘って棲むんだよ、と。
「あの病院の七尾志乃がいなければ、おまえも……おれも、ここまでは辿りつけなかったはずだ。おれにとっては……!この左腕が志乃のカタチをした虚だ!」
ここでオーヴァンは、「AIDAが作動した理由」について述べているように思います。その理屈はこうです。
AIDAは心の喪失に巣くう。愛奈の喪失という隙間は、一旦はアバターというオーヴァンの意思の力で埋めたものの、その意思がくじけたとき、その喪失の隙間にAIDAが入り込んでしまった。エンデュランスの心の喪失をミアに擬態したAIDAが埋めたように、オーヴァンの心の喪失もAIDAは何かで埋めなければならなかった。それが志乃。
オーヴァンが求めたものとは、「愛奈」そのものではなく「愛奈を取り戻そうとすること」「喪失の回復を目指すこと」であり、道であり、それが自己の救済と同義だった。オーヴァンが喪失の回復を目指すためには、取り戻せない喪失ではなく、取り戻せる喪失が必要だった。取り戻せる喪失は、取り戻さなければという使命感を再び呼び起こす。それこそが、今このときのオーヴァンが埋めなければならない喪失にピタリとハマるピースだった。
「生きている志乃」では愛奈の喪失は埋められないが、「オーヴァンが殺した志乃」によって「愛奈の喪失を埋めようとする気力」を取り戻すことができるだろうと、その気力こそが喪失の隙間を埋める要素なのだとAIDAは理解し、志乃殺しを実行した。つまりAIDAは「志乃を殺したという新たな喪失」に擬態したのです。
これがAIDAが動いた経緯、まさにAIDAの理屈です。ここからさらに、オーヴァンの理屈を詰めていきましょう。
AIDAが、「愛奈の喪失」を埋めるために用意したのが「志乃の喪失」であるならば、志乃はオーヴァンにとって愛奈と同じ立ち位置であるといえます。オーヴァンの取り戻したいと思える気持ちの強さが、愛奈と志乃がイコールであるといえるわけですから。
つまり、オーヴァンは志乃を愛奈と同じくらい愛しているということがいえるのです。
キッカケはおそらく、告白のときの志乃の立ち振る舞いでしょう。その様はオーヴァンにとって、「お釈迦様に沈黙で応えていただいたマールンクヤ某」と同じ。歓喜に値することだったのです。マールンクヤの話は、このときのオーヴァンと符合していることを示す伏線だということです。
さらに「『黄昏の旅団』の旅を続けましょう」という言葉。認識が「為すこと」「行われ続けること」「過程」「道」と同義であるオーヴァンにとって、「愛奈を救うこと」は「愛奈を救うための歩みを止めないこと」と同義であった。それを気付かせてくれた志乃の言葉は、そのときオーヴァンが一番かけてほしい言葉だったのです。
「まあ、聖女というには、あいつ(志乃)は、あいつなりに黒いんだが」
志乃がそういう立ち振る舞いをしたことは、彼女のしたたかさといえるものだったのでしょう。つまり計算だったということです。そういう振る舞いをすればオーヴァンに振り向いてもらえるという下心、ということですね。しかし心が弱りきったこのときのオーヴァンにとっては、他の何にも代えがたい、心に沁みいる態度と言葉だったのです。恋愛で落ち込んでいるとき、異性の友達に励まされたら好きになってしまったという、よくあるラブストーリーなのですね。
さて、ひょんなことから志乃を好きになってしまったオーヴァンですが、なぜ志乃を殺さなくてはならなかったのでしょう。電気虫によってあらぬ幻覚を見せられたがゆえ、だそうですが、一体何を見せられたのでしょうね。
ここで振り返ってみてほしいのは、 The World の世界観です。
卑しい人の所業に呆れはてた神々は、モーリー・バロウ城砦で天上の途を閉ざし、曙光の都アーセル・レイに去っていった。たちまち尊い威光と守護は失われた。大地は禍々しい”影”に浸食されて、邪な魔物があふれた。あらゆる生き物は滅ぼされ、残った街は五つだけになった。この窮地に、ひとりの呪文使い見習いの少年が、アルケ・ケルン大瀑布の神殿で命を捧げて祈ったという。
奇跡は起きた。
天上に去った神々のなかでも慈悲深い八柱の神が、祈りに応えて召喚された。(いろんな神とそして)光の女神アウローラであった。八柱の神は人々を導き、ついに”影”を封じ込めたのだった。
人は再び繁栄の道を辿った。
しかし”影”との戦いが終わったことで、卑しい人は、たちまち人同士で争いはじめた。これには八柱の神もついに呆れはて、次々と地上から去っていった。光が再び失われることを恐れた人は、最も慈悲深く、最後まで残った光の女神アウローラをグリーマ・レーヴ大聖堂に封印する。愚行を重ねたのだ。女神の力は、のちの抗神戦線において人の最終兵器『ヴァルドラウテ』の呪力源となり、天上の神々を悉く灼き殺すことになる。――
前半はR:1の出来事をなぞっているようです。では後半は、R:2をなぞる物語、すなわちこの .hack//G.U. の物語を暗示しているのではないでしょうか。
人は、光の女神アウローラに逃げられるのが怖くて、彼女を鎖で監禁したのです。人とは卑徒――オーヴァン。この世界観は、まさにオーヴァンを暗示したものだったのではないでしょうか(暗示という言葉は正しくないと思いますが、他に適当な言葉がみつかりません)。
オーヴァンは、志乃に女神を感じた。その慈悲深さに一瞬で惹かれてしまった彼は、この満たされた光がなくなるのを恐れ、彼女を逃がすまいと、独占しようと、誰にも(特にハセヲには)渡してなるものかと、PKに及んだのです。
感情としては、愛奈のときとやはり似たようなものといえるのではないでしょうか。あえて名を付けるならば「独占欲」となるのでしょう。殺してしまえば自分のものになるというサイコパスな感情といえますが、心の奥底の感情ですから、誰しもが抱える闇と大差ないものであるはずです。オーヴァンのセリフから彼の素顔を探ることができます。
「ハセヲ……おまえの、その、みじめでおぼつかない歩みを嗤う猿がいれば、唾を吐かれたならば、おれが黙らせてやる。誓おう――あの病院の志乃に誓おう。おれは、おまえの前から決していなくならない」――だから、おれを斃せ。
「おまえの醜さには誰もが眉をひそめたな……。おまえは拒絶された。誰も、かかわろうとはしなかった。誰にも望まれず、望まぬまま道化のように踊らされて、嘲られて、憎まれた<死の恐怖>のおまえを。沈黙によって生みの親からすら見捨てられたおまえを。否定されかけたおまえを――拾ったのは、おれだ。おれは決して、おまえの前からいなくなりはしなかった」
――こうして「ともに結末まで」
オーヴァンはおそらく、自分の前から「いなくなる」ことが何よりも辛いと感じてしまう人なのです。孤高を装いながら、そのくせ本音は淋しがり屋なのです。だからハセヲには「いなくならない」と告げたのです。それを果たすことが、最高の愛情表現だと彼は思っているのですね。
つまり彼は、自分が愛した人に一番求める条件が、自分の前から「いなくならない」ことなのです。愛奈がその条件を満たしてくれないことに、深層心理では嘆いていたのでしょう。愛奈は嫁に行けませんね、これでは。そして、志乃にその条件を満たしてもらうためには殺して自分のモノにしてしまうのが確実だ、というのが彼の深層心理での理屈なんですね。
その感情をわかりやすくいうと、一番近い表現でいうところの「独占欲」なのです。愛するという言葉の負の側面としての感情を増幅されたオーヴァンは、愛奈もいずれ自分の前から「いなくなる」ことに怯え、志乃も「いなくなる」かもしれないことを恐れ、「いなくならない」ようにするために、アウローラのように封印するという、まさに「愚行を重ねた」のです。
これが志乃をPKした経緯。オーヴァンの理屈。彼は志乃を愛してしまったがゆえに、彼女を離すまいとする想いがPKという行為に至らせたというのが、「オーヴァンの真実」だったのです。
「おまえはスケィス――第一相のアーキタイプ。古き地母神の血を、最も濃く受けた子だ」
「我識――おれは母モルガナに生じた我執」
「モルガナが、娘アウラを殺そうとした想いだ」
ハセヲに殺されることを望んでいたオーヴァン。それは前項で示したシステム的な意味と同時に、道義的な意味も含まれていたのです。それは禊。洗礼という言葉をオーヴァンは使っています。
「娘を殺そうとした想い」がスケイスであるならば、それに攻撃されることは、すなわち自分がしたこと(愛奈を殺そうとしたこと)に対する因果応報。まさに洗礼となりうるのです。罪を犯した者は、いずれ罰を受けなければならないと、それにふさわしいのはスケイス――ハセヲであるというわけです。
道義的にも、娘を殺そうとしたオーヴァンは罰せられるべきだった。そんな彼の旅路とは、決して英雄伝などではなく、贖罪のための、先には死しか待ち構えていない、煉獄のようなものだったのでしょう。ハセヲに会い、ハセヲを育て、自分に似た彼に、自分は間違っていると、自分の暴走を止めてほしかったのですね。「オーヴァンの物語」とはそういう物語なのです。
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ぶっさそ (火曜日, 07 2月 2017 13:20)
面白いとは思うけど、アイナのPKがオーヴァンの感染の方が先だと考えるのは無理があるのでは?アイナの記憶がとか言う前に、AIDAが現れた時点でアイナ視点の文章ではなく客観視点に変わっているし、アイナPKからのオーヴァン感染という客観文章どおりだとする方が自然。
志乃に懺悔したのも、事実の懺悔ではなくあんな場所に連れて行ったことや、現実の死を止められなかったことに対する懺悔なのでは?それからAIDA感染によって暴走したオーヴァンが、気づいたらPKしていたということだと思う。
まあたしかに、ゲームの方ではオーヴァンがアイナをPKしてるんだけど、それは志乃の時と同じじゃないかと。
別の記事 (土曜日, 18 2月 2017 20:59)
リコメ遅れてすんません!コメントありがとうございます!
久しぶりに熟考いたしました~。
もらったご意見に対して、私が思うところをつらつら書いてたら、めちゃめちゃ長くなっちゃったので、別の記事にとぶリンクを作りまして、そちらに書くことにしました。
もしコイツめんどくせーと思ったなら、無視してください!
ただ、こんなマイナーな記事に目を通していただいて、ほんとに感謝感激しています!「.hack//G.U.」談義をぜひしましょう♡