ハセヲとオーヴァンの結末

前項までの記述を踏まえた上での話になりますので、それをご覧になった上で読み進めることを推奨します。

 

 

 

 

 

さて、「オーヴァンの真実」が明らかにされました。オーヴァンは志乃を好きだったということです。それを踏まえた上でこの物語を追っていくと、スタートとゴールに設定されている焦点は志乃であることが見えてきます。

この .hack//G.U. の物語は、ハセヲとオーヴァンの物語であるといえます。ハセヲの物語は、志乃を失うところから始まり、志乃を取り戻して終わりました。オーヴァンの物語は、愛奈を失うところから始まり、愛奈を取り戻して終わったわけですが、物語がフィーチャーされているのは愛奈を失った所からではなく、志乃を失った所からです。志乃を失ったオーヴァンが、「愛奈を救う物語」から「志乃を救う物語」にシフトチェンジした所からなのです。

 

ハセヲの物語は「志乃を救う物語」。

オーヴァンの物語は「愛奈を救う物語」は半年以上前の話であり、フィーチャーされているのは「志乃を救う物語」。

 

であるならば、ハセヲとオーヴァンの物語とは、「ハセヲとオーヴァンが志乃を巡って争う物語」といえるのです。物語後半で、志乃をPKしたのがオーヴァンだったと明かされたときから、ハセヲにとってオーヴァンは、捜査の末に発覚した犯人ではなく、恋人を盗られた恋敵に他ならなくなったのです。

 

「――人でなしの、あんたに」

「志乃だけはッ!」

わたさない。

 

無意識で発したこのハセヲのセリフが、ハセヲがオーヴァンをどう捉えているかを物語っているわけです。「一人の女を巡って男二人が奪い合う恋愛ドラマ」という構図が、この物語の裏のテーマといえるでしょう。

 

 

 

 

そうして見てみると、オーヴァンがハセヲをからかうシーンというのは、上から目線の物言いであるにもかかわらず、実はハセヲと同じステージに立った上でイニシアチブを獲るためのものであることが見えてきます。

もちろん、ハセヲを育てるためという目的もあるのは間違いありません。ハセヲを成長させたいのは、スケイスの真の力である「死を教える力」を得てほしいからです。成長のためには怒りが必要だと彼は言っていますので、ハセヲをからかって怒らせることは、ハセヲを怒らせて成長させるためという目的と合致するわけですね。

しかし、それはシステム的な意味での目的であって、感情的なものを含んでいません。感情面でいえば、「おまえよりおれのほうが志乃を知ってるんだぜ。あれはおれのもんだ」感や「おまえはダメ人間だから志乃にはふさわしくない」感がハンパなく、それは上から目線を装った完全なライバル視です。

 

「白いガーベラの花」

「七尾志乃が好きな花だ。おまえは、そんなことも知らないんだろうな」

 

「『眠り姫』の類話を拾えば、あきらかに眠る姫を犯し、死姦のような行為に及んで子を孕ませたものさえある。おまえと同じようにな、ハセヲ――」

「なっ……!?」

「呪われた白い巨塔に足しげく通って、いばらに囲まれた眠り姫(志乃)を、おまえは犯しつづけているのさ」

 「ッ……!ふざけんな……ッ!」

「くっくっ……ははは……!期待通り反応をどうも……くっくっ……恥ずかしがるな。おまえが、どんな素敵な王子様を脳内で演じようと、そのことにたいした意味はない」

 

「まぁ聖女というには、あいつ(志乃)は、あいつなりに黒いんだが」

なれなれしく志乃をからかうようなことをいう。

オーヴァンは、いつもハセヲが知らない志乃と話をしていた。

 

オーヴァンは、自分が志乃を好きなことを隠して言いたい放題ですね。さらにこうたたみかけています。

 

「だから、いったろ?志乃を救いたければ自分を救えと……おまえと、おまえが知覚した志乃は同じなんだよ」

 

ハセヲと、ハセヲが知覚した志乃が同じとはどういうことか。これは、「ハセヲが知覚した志乃」は「ハセヲ」であり、「自己」の範疇を出ないのだと言いたいのです。ということは「ハセヲが救いたい志乃」は、「志乃自身」ではなく「ハセヲが知覚した志乃」であり「自分」であるから、「志乃の救出」は「自己救済」と同義となります。

しかし、ハセヲの言う「志乃の救出」は「志乃の意識が回復すること」であって、ここにずれが生じています。オーヴァンはこのずれを指摘し、「志乃の意識が回復」したとしても、本当の意味でのハセヲの中の「志乃の救出」にはならないぞと言っているのです。

 

「ちがう……おれは志乃を救うんだ……!」

「志乃を救う……そして、どうする?問い質すのか?なぜ自分ではだめだったのかと」

 

志乃が意識を回復できたとしても、ハセヲはまた拒絶されるだけです。それはハセヲが本当に望んでいることとは違うはずです。ですから、ハセヲが本当の意味で「志乃の救出」を望むのならば、「ハセヲの知覚した志乃の救出」を目指すべきであり、「自己救済」すればいいんだよということなのです。

 

では「ハセヲの中の志乃の救出」は、どうやればいいのでしょう。そのためには、本当の志乃がどうなろうが関係なく、ハセヲが心の中で志乃に対しての想いを決着、フラレて傷ついた心の回復、気持ちにケリをつけることこそが、「志乃の救出」となるのだとオーヴァンは言っているわけです。

 

つまりオーヴァンはこう言いたいのです。志乃を諦めろ、と。

それが「志乃の救出」そのものなのだと。

まわりくどい男ですね。ようするに、志乃はおれのだからおまえは手を引けと。おれの勝ちを認めろよということですか。

 

 

 

 

 

中盤戦はオーヴァンの圧倒的リードといったところでしょう。終盤戦どうなるかが気になりますよね。しかし、この物語のラストは愛奈の再誕に焦点が当たっているため、志乃を巡っての男の戦いはクローズアップされていません。「結末や如何に」は想像力に任せるしかないのでしょうか。

いえ、伏線がしっかり残されています。こっそりと。それを拾っていきましょう。

その前に、オーヴァンが愛奈の再誕を具体的にどう実現するかについて、ふりかえってみたいと思います。

 

 

 

 

簡略化します。

愛奈の意識はAIDAによって、どっかに行ってしまった。最初はアウラをみつけて元通りにしてもらおうとしたが、諦めた。だったら、「自分が愛奈だと思っているもの」すなわち「オーヴァンが知覚した愛奈」を愛奈にしてしまおう

 

対象は認識に従いうる。

対象こそを認識に従わせろ。

 

オーヴァンが、愛奈ってこういう性格でこれくらい可愛くてこんな人間だと捉えているものを、そっくりそのまま愛奈にしてしまおうというわけです。そういう人物を作り上げるためのツールが、人間サンプリング機能をもった碑文。その機能を愛奈再構築のために使うという意思を反映させるのが、阿頼耶識の碑文。

そうしてできあがったものを、何かに定着させようとした。なぜならば、定着させなければそこに存在しているということを確かめられないから。確かめることこそがハロルドの目的だったということとリンクし、オーヴァンの目的もまた同じだったのです。そのために用意されたのが志乃だった…。

 

「血と羊水は、阿頼耶識たる第八相。肉は、志乃のカタチをしたAIDA。葡萄酒とパンはある」

 

できあがった愛奈を定着させるために選んだのが、志乃のカタチをしたAIDA。つまり、オーヴァンが知覚した志乃です。志乃という型に、できあがった愛奈を流し込もうとした。なぜならば、オーヴァンが知覚した志乃とは、前項で示した通りオーヴァンにとっては女神だったからです。神造りというスケールの物語を描くために用意されたのがモルガナ因子ですから、それを通じてできあがるものは神と同等のものになるので、それを個に固定させたときのその存在とは、人間が知覚しうる神でなければならないのです。人間が知覚しうる神を体現したのが、オーヴァンにとっては志乃だったのです。

 

 

 

 

 

 

これがオーヴァンの大まかなねらいとなるわけですが、ではオーヴァンにとって志乃とは、単なる愛奈再構築のためのボディにすぎないのでしょうか。ここから本題に入ります。

先ほどの記述、「志乃に、できあがった愛奈を流し込もうとした」

この行為は、現世でいうところの性交に当たるのではないでしょうか。

 

「ネットであれば、精神は現実の因果律に縛られることもない。道徳からさえ自由だ。たとえ我が子を、みずからの精から、肉体のない女と交わって、もうけようとしたとしても」

 

「娘の死に挫折して、こうして志乃を殺めたAIDAに抱かれながら……おれは愛奈を再び誕まんとした」

 

前半はハロルド・ヒューイックのことを、後半はオーヴァンの目的を言及しています。しかしよくみれば、この二つの記述は妙に符合しています。前半がハロルドのことではなく自分自身のことだとするなら、「愛奈をもう一回産みなおすために、肉体のない女と交わることで、我が子(愛奈)をもうけようとした」と読み解けるのです。

 「肉体のない女」とはつまり、志乃です。オーヴァンは、志乃と交わることも目的(手段?)の一つだったのです。一石二鳥ってやつですか。天才の発想だよ、まったく。

 

 

 

 

「古今東西を問わず、ある年齢に達した少年たちが、家族のもとを出されて一つ屋根の下で暮らすという習慣がある。大人のしきたりを学ぶ教育機関か、軍隊か、宗教か、性的な意味をともなうか。そしてイニシエーションの最中、少年は死んでいる。社会的には、少年は死んだものとして扱われるのさ。社会のソトで営まれる集団生活のなかで、なにかしらの儀礼を授けられた少年だけが、やっと一人前になってリアルに帰ることを許される。

『白雪姫』を知っているな。『白雪姫』を一行で語ろうか。

ある少女が、家を離れて社会のソト――異界で暮らす。そこで一度死に、生まれ変わる。

少年は(娘は)一度死に、男として(女として)生まれ変わる。

眠り姫もまたリアルに帰らなくてはならないのさ。彼女(志乃)はおまえと同じなんだ……ハセヲ」

 

ずいぶん端折りましたが、少年少女は、大人になるためのある一定の通過儀礼があり、その際子供としては死を迎える。そして大人になって生まれ変わる。志乃も今その儀式の最中にいるのだ、と要約できますね。

子供として死を迎えるような儀式を経て大人になる通過儀礼とは、「ハセヲとオーヴァンの物語」という恋愛をテーマに語る以上、性交と捉えるのが正しいはずです。結末で志乃が甦った以上、志乃は性交を終えて現世に帰還したことになります。つまり、オーヴァンの目的が達成されたことと合わせれば、オーヴァンと志乃は結ばれちゃったみたいです。オーヴァンにヤラれちゃったってことは、ハセヲの敗北確定で終了なのでしょうか…?

 

 

 

 

 

 

 

 

結末の解釈は、見る角度によって如何様にも姿を変えるので、本質を断定するのは困難なのですが、私の解釈を、一つの解釈として記します。これが唯一解ではありませんので、あとは好きなキャラに合わせて妄想するのもいいと思います。

 

「再び誕むのはおれじゃない。おれは真実の果実を得られない」

 

オーヴァンのセリフです。再誕は、犬童雅人の自我を滅したのちに行われるものであるから、システム構築まではおれがやってあるから、スイッチを入れるのはハセヲがやってくれということです。

スイッチを入れる。鍵を差し込む。

その行為はまさに、性交のことを示しているのではないでしょうか。オーヴァンは自我がなくなっちゃったあとのことですから、自分がヤリたくてもヤレないと、だからハセヲに任せたと言っているのではないでしょうか。

 

「だが、おまえの美しさは、危うさ……その翼で、ゆらめくような境界に立つ少年にだけ許される、尊いものだ。そして留まることはできぬ、”力”でもある。おまえが望むと望まざるとにかかわらず、おまえは今そのスケイスの”力”をふるい、そして翼を失うだろう。もう、じきにだ」

――<再誕>は発動する。

星の雨に降られながら、ハセヲは『The World』の至高聖所から、翼をもがれて落ちていった。

 

希薄な重力のなかを落ちていくハセヲの貌は、亮の心を映して、人の幸せで満たされた。

 

「あなたの気持ちは犬童雅人に伝わった。あなた(ハセヲ)は、オーヴァンの最愛の娘の名付け親になったのだから」

 

少年だけがもつ、翼と十字架の聖なる力は、再誕の発動とともに失われました。ハセヲもまた、再誕の発動とともに大人になったのです。そして、愛奈の名付け親になったという事実。これはすべて、志乃と交わったのがハセヲであることを示しているのではないでしょうか。AIDAに感染したオーヴァンを貫く行為は、同時にAIDAを攻撃、貫く行為です。AIDAを貫く、志乃を貫く、それを姦通と捉えるのが正しいとすれば、貫いたのはハセヲです。

オーヴァンは、ハセヲを認めたとき、潔く身を引いたのです。あとは任せたと。おれでは志乃を幸せにはしてやれないと…。

 

ハセヲはこの行為によって、愛奈を誕みました。志乃との間に子供を授かることができたのです。これによりハセヲは、志乃を愛しぬくことで最高の結果が待っているんだという、自信と愛する資格みたいなものを手にすることができたのでしょう。

もちろん、頭で理解してやったことではないでしょうけど。再誕のシーンの中でSEXしていたなんて、理性があったなら、怒り狂って否定しそうですもんね、ハセヲさんは。

 

 

では、志乃はいったいどういう気持ちだったんでしょうね。これは、志乃の意識が回復したことに答えがあると思っています。

志乃に愛奈を流し込むという行為は、オーヴァンの意思そのものです。オーヴァンの意思が入り込んでくることで、オーヴァンの考えや気持ちを共有することにつながります。オーヴァンが身を引いたという事実を知ることができたのです。これはつまり、志乃はフラレたってことなのです。その上で、志乃が意識を回復したこと、オーヴァンの闇の意思といえるAIDAに囚われていた志乃の意識がオーヴァンから離れたこと、それが意味することは、フラレた事実を受け入れたということなのではないでしょうか。私は彼の一番にはなれなかった。彼の一番を為すために、切り捨てられる残り滓にすぎなかったのだと認めたのです。認めたからこそ、リアルに帰ってきてしまったのです…。

 

 

 

 

 

 

 

 

「願いはなにか、だったな。くれてやってもいいぞ、ハセヲ……おまえになら」

 

オーヴァンのこのセリフは、この未来を予見していたのでしょうか。

意志を貫いたハセヲ。身を引いたオーヴァン。フラレた志乃。

これが三角関係の、「ハセヲとオーヴァンの物語」の結末です。これからの物語は、なんかハセヲにもチャンスありそうな感じがしますよね。がんばってほしいかな。

 

 

 

 

 

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