ついでに追記

なんかドラマ化していたので、久々見返してみたら、ちょっと記載するのを忘れてた部分があったので、ついでに追記します。

 

 

 

 

 

 

人格の役割について、なんですが、

 

「真賀田基志雄」→百合子殺害の実行役

「透明人間」→四季に知られずに百合子を探し出す役

 

ここまでは記していたのですが、「栗本基志雄」の役目を記すのを忘れていました。これは「すべてがFになる」にもつながる話です。

 

 

 

 

 

「栗本基志雄」→四季のストッパーとしての役目

 

自分でもそう発言しているように、彼は四季のストッパーとしての役割を担っていると考えて間違いないでしょう。四季の暴走を止めるために生まれた人格だということです。

では具体的に「何を」止めるために存在していたのでしょうか。

 

それは、「春」の最後に消滅してしまったことから逆算できると思います。消滅してしまったのは、役目を終えたからといえるわけで、百合子殺害の事実を受けて消えてしまったのですから、百合子の存在の有無が、彼の役割に直接関係していることになります。

 

となれば、彼の役割とは四季が百合子を殺してまうことを止めることだった、と考えれば納得でしょう。最後には、それを止められなかったから存在意義がなくなってしまって、消えるしかなかったのでしょう。

 

ではなぜ、百合子殺害を止めたかったのでしょうか。

その背景にはおそらく、四季の本当の母親が百合子であるという事実があるのだと思います。四季が殺意を抱いた相手が実の母親であることを、彼にはうっすらと判っていたのです。だからこそ彼は四季を止めたかった。母親を殺すなんてあってはならないと。

また、それ以上に彼が恐れたのが、百合子を憎むことが四季自身の存在の否定にもつながってしまうことだった。不倫関係を経なければ四季はこの世に生を受けることはなかったのですから、百合子の存在を否定することは自分自身の否定につながってしまうのです。それを最も恐れた。四季に、自分は生まれてきてもよかったのだろうかなどという悩みを抱えさせるわけにはいかない、それが「栗本基志雄」が生まれてきた理由だったのです。

 

 

ですから彼は、四季に不倫を許せというメッセージを送っていたのです。「栗本基志雄」が、不倫している森川須磨を可愛いと言ったことの裏には、このようなメッセージが含まれていたのです。四季が抱えている問題、悩みは、不倫の存在を許してしまうだけで解決に向かいます。彼女は、不倫を許せないという前提条件を外せないから、悩みが晴れないのです。不倫を許せば、あとは人間として見たら可愛いもんじゃないか、森川須磨のように、そうやって百合子も許してやれよ、ということを彼は言いたかったのです。

 

 

 

しかし四季には届かず、結局百合子を殺してしまいました。そして四季は「栗本基志雄」が危惧した悩みを、本格的に抱えてしまうことになってしまいました。

不倫が許せないから百合子を殺したのに、不倫があったからこそ今ここに自分が生きているという事実との矛盾。さらに新藤清二が好きだという気持ちを止められない、自分自身の不倫願望との矛盾。不倫という過ちを犯した百合子の血がおぞましくも自分にも流れていて、わかっていても断ち切ることができないと実感させられるこの事態。このジレンマに、彼女は苦しむことになったのです。

 

 

 

 

 

 

しかし四季はなんと、この悩みに一つの結論を出すことに成功したのです。

 

それが「すべてがFになる」の動機です。

彼女は自分の子供を15才になるまで育て、そのあと自分を殺させるつもりだった、と犀川は語っています。それが答えです。

 

不倫という愛を裏切る不貞行為を許せないのが、彼女の価値観の最重要事項。しかし、その行為によって生まれてきた自分が、さらに同じ過ちを犯している。ならば、その過ちを誰かが罰さなければならない。自分が百合子の過ちを罰したように。それは私の子がやるべきなのだ。

私が生まれてきた意味も、百合子を殺してしまった意味も、これですべて整合性がとれる。私は百合子を罰するために生まれてきたのだ。だから私は、私を罰するためのこの子を産む。それが、私に流れる真賀田の忌まわしき不倫好きの血を廻る宿命なのだ。

私が不倫に惹かれたのも、私自身を罰するために用意された血の恩恵だ。だからおそらく、この子(ミチル・仮)も不倫するだろう。そのときはまたその子供に自分を殺してもらえばいい。

まとめると、生まれながらに罪深い私の存在意義とは、罪を犯した者を罰するために生まれ、同じく罪深い者を出産し、その子に殺されるためにあるのだ、という結論に至ったのです。

 

 

なんと恐ろしい理屈の嵐でしょう。理解しろというのが無茶な話です。

当然、彼女の子供はこれを理解できませんでした。だから彼女は、仕方なく子供を自分自身に見立てて殺すことで罰し、新藤清二もミチル(仮)になりきって罰したのです。

「夏」で語られていますが、新藤清二は当時に四季に殺してくれと発言しています。しかし四季の理屈では、彼の罪は彼の子供によって裁かれなければならないので、四季は断ったのです。

 

ちなみに、「夏」で四季が彼女の両親を殺したのも、上記の理屈です。

直前に彼女は、各務に両親の身辺調査をさせています。浮気、不倫、その事実をつかんだ四季は、彼らを罰する対象に据えたのです。ただその前に、彼らに不倫についての認識を聞いておきたかった。何か納得できる答えが、そこにあるかもしれない。しかしそこには、四季が納得できるものが何もなかったのでしょう。彼らは、不倫の子を産むことがいけないと言った。だめだとわかっていながら、じゃあ自分たちがしたことはどう説明するつもりなのか。結局罪は罪。あなたたちの子供である私の使命として、私があなたたちを罰するしかないようですね。

とまあ、こんな理屈です。

 

 

 

 

 

こんな後づけの屁理屈で殺人を正当化しようなんて、こうなる前に誰か止められなかったんでしょうかね。彼女の芯にあるものは、ただただ「一途な愛を神聖視する」というだけの、乙女チックな女の子なんですけどね。

両親が平手打ちで叱っても、「フィジカルコンタクトなんてこんなもんか」ときましたからねー。あなたたちに私を叱る資格なんてない、ってなことなんでしょうけど。彼女を止められるのは、罪を犯していない者にしかできないんでしょうね。あるいは、同じ罪を犯しつつも自分とは違う結論に至った者か…。

 

 

 

 

 

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※余談なんですけど、「すべてがFになる」の四季の殺人の動機って、詳しくは明かされていないということであってますよね?

というのも実は、私は「すべてがFになる」を数年前に、しかもマンガでしか見たことがなくて、小説読んだことがないんですよ(・_・;)

そのマンガでは、動機らしい動機が書いてなかったように記憶していまして、だからこれを記したという経緯があるのですが、もしどこかで語られているのだとしたら、独りよがりこの上ないので恥ずかしいです(・_・;)

 

私は、森博嗣さんのこのシリーズを、全部で多分5.6冊くらいしか小説で読んだことがありません(主にお金の関係で…)。四季シリーズにしても、「秋」「冬」は読んだことがありません。

しかしその特性はつかんでいるつもりです。真実の伏線が、その作品内ではなく他の作品に撒かれていることがある、ということも。ですから、すべてを読破していない以上、これが真実だと豪語することが簡単にはできないのが、正直くやしいですw

 

一度はそれにしてやられた思いがあります。前項で記した、西之園夫妻の事故の真相についてです。四季が犯人よ!と軽々しく宣言したものの、後日「夏のレプリカ」という作品を見て、とんでもない伏線を見つけ、訂正を余儀なくされるという汚点を残してしまいました。

ですからその真相については、私の中で確たるものを持っているのですが、それを記すのを躊躇っている事情があります。私が読んだことのない作品で、また違った真相を示す伏線があるかもしれないからです。

だれかタダで全シリーズを貸してくれる人いないかな~

 

 

 

まあでも、その真相については、このセクションで記したことと密接に関係しているので、私がどう思っているのかはカンのいい人なら分かっちゃうと思うんですけどね♡