以下長文になります。
私が.hack//G.U.を読み込もうとするキッカケがありまして、作者の最後のあとがきにある「回収すべき伏線は拾い切りましたが、」という一言に違和感を覚えたことにあります。
あの結末で、回収すべき伏線が放置されてないと考える価値観には、私はどうしても立てませんでした。つまり、作者的には回収したけど答えを明示してないよ、それは読み込めばわかるようにしてあるんだよ、ということであるように思えてならなかったのです。
例えばですけど、
・白雪姫の件
・マールクンヤ某の修行僧になる件
・大猿の「汝につきまとうものあり」から始まる問の件
まだまだありますが、少なくともこれが何だったのかを正確に解釈できている人なんているのでしょうか。これで伏線を回収したと本当に言えるのでしょうか。ですから、私なりに解釈した結果を記事本文に載せることにしたという経緯があります。
私は、すべてのファンタジー作品でこんな読み方をするわけではありません。
例えば、「不思議の国のアリス」「千と千尋の神隠し」など、ファンタジーをファンタジーのまま受け入れるべき物語もたくさんあると思います。ですが仮にこれらの作者が、「あの話の伏線は、劇中にすべて回収した」というコメントをつけていたとしたら、「え?伏線なんてあったの?変な展開だなあと思っていたのは、そういうファンタジーだからという解釈ではなくて、ある真実を紐解くためのカギとしての役割ってこと?」というふうに思ってしまうと思います。
あくまで仮の話ですけどね。
この「.hack//G.U.」に対して、私はそのまま受け入れるべきファンタジーではないと思っているのが前提にあります。目に見える真実だけが正しいとは限らない物語だと捉えているということです。
まず、この考えにまったく共感できないのであれば、私の話はまったく響かないと思いますので、見る意味はありません。少しでも共感していただけたのであれば、私の個人的な解釈に耳を傾けていただければ幸いです。
ということで、ご意見について私が思うことを記します。
アイナPKのシーンが、客観視点に移っているということですが、それはアイナの記憶ではないとする説明にはなっていません。
例えば、ハセヲがエンデュランス救出時に垣間見た、朔がエンデュランスを監禁しているシーンがあります。
巫器空間と似たような現象において、記憶映像は実は客観視点で綴られています。エンデュランスの記憶ですので、 "映像視点" はエンデュランスですが、 "文章視点" はハセヲともとれる客観視点なのです。
記憶映像は、その人の一人称で語られるとは限らないことが明らかなのですから、確かにアイナPKのシーンにおいて文章視点が変わっていますが、だからアイナの記憶ではないとする説明にはならないのです。
その上でさらに、エンデュランスの発言で
さぁ、ね……ぼくときみが見た "あの映像" が、事実そのままである保証なんか、どこにもない。
とあるように、記憶を垣間見るあの映像は、事実の保障がないことが示されているのです。
まだあります。
客観視点に変わった瞬間からアイナの記憶ではないとするならば、
さきほど亮が垣間見た、この白い部屋で起きた、AIDAによるアイナPKの記憶は――あれは犬童雅人ではない、犬童愛奈の記憶ではなかったか。
は、文章として間違っているではないですか。
さきほど亮が垣間見た、この白い部屋で起きた、アイナとオーヴァンの逢瀬の記憶は――あれは犬童雅人ではない、犬童愛奈の記憶ではなかったか。
でないと日本語としておかしいです。
これをどう捉えるかです。
私はこの3点を考慮することで、「語られたアイナPKのシーンは、真実そのままを描写したものではない」と考えることが正しい読み方だと思ったということです。
どこに嘘が混じってるのかを考えた結果、順番が違うのでは?という結論に至りました。
まだあります。
アイナPKをAIDA主体で行ったとされる、ふつうに読んだらそうなる解釈が真実なのだとしたら、オーヴァンって被害者家族で、AIDAって加害者ですよね?というのがあります。たとえ罪悪感があったとしても、アイナがこうなったのは自分に責任があると考えてしまったとしても、それとAIDAへの思いとは別次元の感情になってしかるべきです。
にもかかわらず、本編に
ふたりは危険な友人だった。
という不自然な記述が存在します。
オーヴァンとAIDAについての記述なのですが、これ、おかしくありませんか?オーヴァンとAIDAが友人と称される要素が、いったいどこにあるのでしょう?
例えば、
娘をライオンにかみ殺された父親であるあなたが、アフリカに娘を連れて行った自分を責めたとして、だからといって、ライオンを、友人と称することができますか?
オーヴァンはAIDAを利用していたわけですが、だからといって友人と称するのはちがうでしょう?それは利益供与の関係性、つまりオーヴァンにとっては道具と同じです。道具と友人はちがうはずです。
例えば、
娘を殺した存在と同棲を余儀なくされ、その力を使わざるをえない父親のあなたは、それを内心は嫌々ながら使うのではないですか?嬉々として使うはずもないでしょう?仕方なく使うってことです。
それがなぜ友人に昇格できるのでしょう?
私の解釈では、オーヴァンとAIDAの目的は同じ、つまりアイナを殺そうとする思いがシンクロした仲、アイナ殺しの共犯者と捉えていますので、友人と称することができるのだと解釈しているということです。その方が自然な解釈ではないですか?
次です。
志乃への懺悔の話は、確かにおっしゃるような解釈もありえますね。矛盾はないです。ただし、その後のPKが暴走の結果だとする考えには、首を傾げてしまいます。
アイナPK、志乃PKがAIDAによるもので、オーヴァンが無関係とするならば、ハセヲの対応がおかしすぎます。
オーヴァンの告白により、AIDAがすべての元凶だと発覚した時、ハセヲにはやるべきことが見えてくるはずです。というか、やろうとしてしまうことというべきか。
それはAIDAを滅殺するということです。
志乃をPKしたAIDA、殺せば志乃が帰ってくるはず。
アイナをPKしたAIDA、そのせいで自分を責めてしまったオーヴァンを救うためにもAIDAを殺せば解決するはず。
トライエッジに遭遇した時のハセヲの反応を知っていますでしょう?
にもかかわらず、ハセヲが最終的に攻撃、消去したのは、AIDAではなくオーヴァンです。AIDAは『AINA』と名を変えて生存してしまっています。ハセヲはAIDAを殺さなかったということです。攻撃対象に据えなかったことになるのです。これをどう説明できるというのでしょう?
ハセヲは、世界を救うなんて大層な目的があるわけではありません。あくまで志乃をPKした存在の消去を目的とし、その結果として志乃が元に戻ることを信じて行動しているだけです。
ですから、オーヴァンが『The World』にもたらした混乱に対してのケジメとして、ハセヲがオーヴァンを攻撃することは "柄じゃねえし" だそうですよ。
最初こそ、志乃をPKしたのがオーヴァンだったとハセヲは思っていましたが、オーヴァンの告白により、志乃をPKしたのはオーヴァンではなくAIDAだったことがわかったのだし、しかもそれによってオーヴァン自身も苦しんでいたこともわかったのですから、ますますハセヲの攻撃対象はAIDA以外にないことになります。
憎むべきは、攻撃すべきは、駆除すべきは、オーヴァンではなく彼にとりついたAIDAであるという結論が、導き出される当然の答えではないですか。
ということは、最終局面においてハセヲがAIDAを攻撃対象に据えないことに、どうやっても説明がつきません。
ハセヲがこれまでに、碑文使いのAIDA感染者に対する対応は、すべて本人からAIDAを消去することで、結果的に本人を救っていました。本人は生き残り、AIDAだけが消滅しています。
これが、最終局面だけ真逆なのです。
エンデュランスが顕著ですね。ハセヲが攻撃したのはエンデュランスではなく、AIDAであるミアを攻撃することで、エンデュランスからAIDAを駆除し、一定の解決を迎えています。
これをオーヴァンに対してはなぜやろうとしないのでしょう?
ハセヲが実際に肉体のどの部分を攻撃したかは、この物語においてどれほどの意味もありません。
認識を対象に従わせる物語において、ハセヲの意志こそが何より優先されるのですから、逆を返せば、結果をみればハセヲの意志が読み取れるのです。
ハセヲはアトリのアバターを攻撃しましたが、結果はどうなったかといえば、アトリは無事で、感染したAIDAのみを駆除することができました。これこそ、ハセヲの意志の結果であることの証明です。
アトリを見極めることができたハセヲは、どうすればアトリを救えるのかを察して、アトリの悩みの根源を断つことを意志に乗せ、その結果がAIDAの駆除につながったわけです。実際に攻撃したのがアバターだろうと何だろうと関係ないわけです。
ですから、ラストのオーヴァンとの接触において、ハセヲがオーヴァンの肉体を攻撃したことにどれほどの意味はありません。そのときハセヲに、「オーヴァンを救いたい」「悪いのはAIDAじゃねえか」「AIDAを許せない」という想いが少しでもあったなら、それが結果に反映されるのがこの「The World」なのです。
なのになぜAIDAが駆除されず、オーヴァンのみが消去されてしまったのでしょう?それがハセヲの意志であることの証明ではないですか?ちがうというのなら、この逆転現象に、一体どんな説明がつけられるというのでしょう?
これをどう捉えるかです。
これは、オーヴァンを攻撃対象に据えることが、ハセヲの目的達成のために必要なことだということの証左としか考えられないと思っています。
それとも、ハセヲは単にオーヴァンの自殺幇助をしただけだという解釈がありえるのですか?
オーヴァンは責任感から死にたがっていたし、再誕はオーヴァンが死ぬことでしか発動しないから、ハセヲよ、おれを殺してくれ、という意志に乗っかっただけということですか?
そうなると、ハセヲは何でそれに乗っかるのですか?いや、おまえは悪くない、おれが救ってやるって意志なんてないってことになりますね?
私の解釈では、オーヴァンは無実でも何でもなく、むしろ問題の根源的存在だと捉えていますから、駆逐対象になってしかるべきと捉えることで、説明がつけられています。
土壇場で令子は理解する。であればAIDAさえ、この物語の本質ではないのではないか。
本質、根本、根源、原因。それは、AIDAではなくオーヴァンの方なのだというのが、私の解釈です。
まだあります。
志乃PKのタイミングの話です。
心が弱りきっていたオーヴァンは、AIDAの侵入を許した。ならば、志乃に泣きついたあの時点で、オーヴァンの心はもはや正常な状態ではなくAIDAに侵されている状態で、しかもそのピーク時です。
なぜ、会ってすぐのPKではないのでしょう?
志乃に告白を聞いてもらったら、少なくとも初期状態よりは心の安定はあるはずです。告白を聞いてもらった前後で、後の方がよりAIDAに侵入を許す精神状態になるとは考えられないでしょう?
志乃に告白を聞いてもらう件は、オーヴァンのハセヲへの告白に必要ないじゃないですか。娘の死に耐えられず、AIDAに侵入を許したおれは、気づいたら志乃をPKしていた、でいいじゃないですか。なぜ懺悔のシーンが必要なのですか?
AIDAに感染することによって、人格が攻撃的になってしまって、無関係の人間でもPKするようになってしまうことはあります。では志乃は、オーヴァンにとってそういう対象だったのでしょうか。
それは変です。アトリを例にします。
アトリが暴走した時は、 アトリの精神状態はMAXでやばい状態です。その状況下では、ハセヲたちを何のためらいもなく攻撃してきました。ハセヲの声など届かない状況でした。しかし、榊の声だけは聞こえていて、榊だけは攻撃対象にしていませんでした。
オーヴァンの置かれた状況は、この時のアトリと同じようなものです。誰彼構わず攻撃しかねない、AIDAに深く汚染された状況です。
この状況下で、なぜ志乃は無事に会話ができるのでしょう?
そして逆に、声が届く状況ならば、アトリにとっての榊と同じで、攻撃対象に据えない存在であってしかるべきです。なぜ志乃は会話後には攻撃されてしまったのでしょう?
志乃殺しが不可抗力だとすると、この矛盾点をどう捉えるのでしょうか。ちなみに私は、志乃との会話直後の瞬間を捉えたとき、「AIDAにはオーヴァンを狂わせる蓋然性はなく、オーヴァンには志乃を殺す動機が発生している」という状態で切り取れるということこそが、AIDAの無罪とオーヴァンの有罪を同時に証明しているという考えです。それ以外にどんな解釈が可能だというのでしょうか?
まだあります。
「オーヴァンの真実」についてどう捉えるかです。
大猿の「汝につきまとうものあり」から始まる問に、オーヴァンは「おれの真実だ」と答えました。
「……なぜ志乃をPKしたッ!」
亮は、ついに激情から怒号した。
話がつながらないのは、そこだ。
オーヴァンの真実は――
から始まるオーヴァンの告白は、
それが、オーヴァンが志乃をPKして、失踪したという事実と、経緯だ。
で閉じられ、
事実はあきらかになる。
で締められています。
「真実」ではなく、「事実」と表現されるのはなぜですか?
真実は――で始まっているのに、それが事実です、で終わっているのを、どう捉えるかですね。語られたのは、真実ではなく事実だったと考えるのが自然ではないですか?
そして、
もし語られたことが真実だとするならば、客観的事実として、オーヴァンに寄生したAIDAが志乃をPKしたということですよね。
これ、「汝とは不可分の」ものではないですよね?
可分できるじゃないですか。
客観的事実として、オーヴァンの意思ではなくAIDAが勝手に志乃をPKしたのですから、その真実は、「オーヴァンとは不可分の真実」ではなくオーヴァンとは完全に切り離して捉えられる事象ではないですか。
まさかそのことも、オーヴァンは自分のせいだと思ってしまうのですか?志乃が意識不明になったことは、ひとえに自分に責任がある、だからこの真実は自分とは不可分の事象なんだ、となるのですか?
それならば、ハセヲへの告白で、「知りたければAIDAに訊け」とか言いませんよね。というか、AIDAが殺したとかも言う必要がないです。自分が殺したようなもんだ、でいいじゃないですか。それが真実の告白ってものです。
私は、これらすべての状況が、アイナ&志乃のPKとオーヴァンが無関係であることの否定を表す伏線であると思っております。オーヴァンの想いがなんであろうとまったく関係ないところでAIDAが作動し、AIDAが彼女らをPKしたのだと考えると、これだけの矛盾点が浮かびあがるという造りになっていると思うのです。
そして記事本文にて、オーヴァンが無実ではないとする解釈を後押しする伏線が多くあることも示しました。
その総合評価として、オーヴァンが殺したという見方の方が真実であると私は結論付けた次第です。
長々、見て下さってありがとうございます!
全然強制でもなんでもないのですが、ご意見、ご感想、反論は、この下に続けてくださるとありがたいです!もちろん、あればの話です!
記事本文のほうだと、なにかと不都合でして。長文が。
コメントをお書きください
逃煙球 (日曜日, 01 7月 2018 04:23)
2014年の記事から考察全て読ませて頂きました
ここまで深く読み込まれ、キャラの心情や考えまで文章化するのは大変だったでしょう・・・w
でもG.U.の主観的にはハセヲの相手はアトリなので、「ここれからの物語は」ならば、個人的には志乃よりアトリと作って欲しいですねぇ
3人を中心にした考察なので仕方ないですけど、アトリがハセヲにもたらした影響などの言及がほとんどないのがちょっと気になりました
あとこうして纏められると、オーヴァンのヤバさというのが浮き出てきますね
告白を経てまさにバブみを志乃に感じたんでしょうか()
それが異性に対する愛なのかどうかは分かりませんが、もし家族愛なら愛奈の代わりとして志乃を認識してしまったのかもしれませんね
状況が状況だったら志乃ではなくハセヲに告白していたんでしょうか・・・()
もうプレイしてから何年も経っていますので、この機会にLast Recode買ってやり直そうと思います、今丁度PC版セールしていますしw
ではまた~
gultonhreabjencehwev (土曜日, 07 7月 2018 21:09)
ありゃ、他の方からこめきたうれしありがと!
いやあ、語彙力ないんで、文章化むずかったですし、正確だとも思ってません!異性に対する愛なのかどうかは分かりませんがと言われるように、私が書いたのは、彼らの愛の形を既存のテンプレに当てはめたものだけですので、家族愛も含めたもっと深い感情みたいなものもあったんでしょうね~。私にはそれを表現するすべがなかっただけです ;;
G.U.の主観的にはハセヲの相手はアトリなのでというのは、これたぶんゲームの話だと思うんですけど、この小説に至ってはハセヲにとってアトリは、その他大勢のうちの一人に過ぎませんよ。最後まで志乃一直線なのが小説版でっす!
私はそれこそがG.U.の主眼だと思ってるんです。
ゲームはここがずれているので、ハセヲが志乃を助けたい理由、オーヴァンを倒さなくちゃならない理由が、個人的事情を超えちゃってるんですよね。
みんなも助けることができたんだから、同じように志乃も助けたい。
志乃を助けることが最初の目的だから、初志貫徹を貫くため。
オーヴァンを倒せば、みんなの『The World』が戻ってくる。
みんなのために、みんなの想いを乗せて、オーヴァンと対峙する!
私はゲームをこう捉えているんですけど、人はこれを勇者と呼びます。
ハセヲは勇者マインドを手にしたから、『The World』を救う。
ついでに志乃が戻ってきたわら。
が、ゲームの話だと思うんですね。
その点、小説はわかり易いですよw
志乃が好きだから、好きな女を助けたい。
これ以外ないし、これが最後まで続くのが小説です。
私はこっちの方が主だと、ゲームは従だと思いこんじゃってます。すいません。
けど、あんまりゆうと、逃煙球さんからクレームきそうなんでもうやめまーすw
告白を経てまさにバブみを志乃に感じたんでしょうか、は、
ウケました!!最高!!