古手梨花のループ現象を、医学(臨床心理学、神経学)で迫ります。まず、梨花が罪滅し編のカケラから皆殺し編のカケラにタイムリープしてきたときの記述を見ていきましょう。
自分がどうしてこういう状態にいるのか、さっぱりわからなかったが、崖の上から聞こえる魅音たちの声で、自分が崖から転げ落ちたらしいことが理解できた。
だが、記憶が戻っても、不思議な感じだった。
崖から落ちる直前までの記憶、…いや、…崖から落ちる直前までの『古手梨花』が繋がらない。
梨花「羽生、…そんなことはどうでもいいわ。今日はいつ?昭和何年の何月何日?」
毎回、私が一番初めに聞く問いかけだとわかっているはずなのに、相変わらず覚えない。
…私も、初めてこの力の恩恵を受けたときは、自分が夢を見ていたのか、さもなければ頭をぶつけて記憶の障害にでも陥ったのかとずいぶん混乱したものだった。
タイムリープの直後は、多少の記憶の混乱があるようです。接続先の古手梨花の記憶との整理も必要みたいです。この記憶の混乱と、過去の自分が今の自分と同じであるということがピンとこない感覚、そして今日の日付がわからなくなってしまう状態、これらに似た症状は、現代にもちゃんと病名がついています。
「健忘症」です。
(抜粋)
主な症状は記憶障害です。ただ、一口に記憶と言ってもすべてを失うわけではありません。健忘症障害の中核症状は、新たな情報を学習しにくくなる「前方向性健忘」と、すでに学習したことを思い出しにくくなる「逆行性障害」です。特に、数分間の出来事を覚える「短期記憶」と、数時間~数日のことを覚える「近似記憶」が障害されます。よくあるのが、人と約束していたことを忘れたり、ものをなくしたりすることです。あるいは、朝食や昼食に何を食べたか。病院の名前や担当医の名前を思い出せなくなって、異変に気付くケースがあります。いずれにしても、健忘症障害の症状によって、患者さんは仕事や家庭内での役割を果たせなくなるなど、社会的、職業的機能に影響を受けることがよくあります。そのため、自身の混乱を取り繕うために作り話をすることもあります。
(抜粋)
しばしば時間および場所の見当識障害がみられるが,通常は人に関する見当識は維持されている。多くの患者は不安または興奮状態にあり,起きている事象に関する質問を繰り返すことがある。言語機能,注意,視空間技能,および社会的技能は維持される。障害はエピソードの沈静化につれて徐々に軽快していく。
(抜粋)
見当識とは、自分が置かれている状況、たとえば年月日、時間、季節、場所、人物などの状況を正しく認識する能力です。見当識に障害が起きると、今日は何月何日か、今が何時か、今自分がどこにいるのか、誰と話をしているかなどが正確に認識出来なくなります。
健忘症は、ある部分的な記憶がスッポリ抜け落ちてしまう症状と、時間、場所、人に対する見当識に障害が起こる症状が主な症例です。
このときの梨花は、健忘が初期の段階で発生しています。見当識障害については、場所についての見当識が最初の段階で伺えます。人については大丈夫そうですが、「私の名は古手梨花」と自己確認していることから、最初の段階で人の見当識にも軽く障害が起こっていたようです。
そして、時間に対する見当識はまったく回復が見られません。自分がどの時間軸に生きて存在しているのかを、認識できないようです。ですので、その役目を羽入に教えてもらうことで補っているという形が、梨花にとってのいつものことみたいです。
これらの現象は、健忘症の症状に類似しています。未来の記憶を除けば、突然健忘症を発症してしまった患者の症状と何も変わりませんね。
また、時間を巻き戻すパワーが減少して、このときは一週間しか巻き戻せなかったみたいな現象も、梨花が健忘症を患っているということを後押ししています。これはパワーとか抜きで説明するなら、「前回の健忘症の発症より今回の健忘症の発症のほうが、先の時間であることは当たり前のこと」となります。つまり、一定時間ごとに健忘症を発症し、記憶が抜け落ちて「今何時?」と聞くことになる年間スケジュールを、どんどん消化していっているってことですね。
では、罪滅し編の記憶、「未来の体験記憶」は一体何なのでしょうか。
(抜粋)
前向性健忘と逆向性健忘は健忘症の中核となる、よくみられる症候ですが、ほかにも記憶錯誤という症状がみられることがあります。定義上は、誤記憶と偽記憶と重複記憶錯誤の三つに分けられます。
偽記憶は、過去に経験していないことを実際にあったこととして追想するものです。前にあったことをベースにつくられるのが誤記憶であるのに対して、偽記憶はなかったことをあったかのように思い出してしまう。
作話とよばれる症状で、事実ではないことをあたかも現実の出来ごとのように思い出すことがあります。脳の損傷をうけて、記憶が断片化し、それを補完するために、ないことを事実としてつくってしまうのではないかと考えられています。作話は当惑作話と空想作話に分けられます。当惑作話は、質問された内容に関する記憶がない場合、過去の経験の一部を取り入れた記憶が出現して、答えを補うというものです。本人に嘘をついている意識はありません。いっぽうの空想作話は、過去に経験のない空想的な内容です。
興味深い内容ですね。健忘症には、「記憶錯誤」と「作話」と呼ばれる症状があるそうです。記憶錯誤の中に「偽記憶」と呼ばれるものがあり、「実際にはなかったことをあったことのように思い出してしまう」という現象だそうです。作話は、「事実でないことをあたかも現実の出来事として思い出すことがある」という現象だそうです。両方とも、「本当はそんなこと体験していないけど、体験してきたような記憶として蘇る」という現象を説明しています。
「罪滅し編のカケラの記憶」 というわけのわからないものも、これに当てはめて考えれば視界が開けてきます。梨花が体験した「罪滅し編のカケラの記憶」 は、「本当はそんなこと体験していないけど、体験してきたような記憶」のことなのではないでしょうか。
「私も、初めてこの力の恩恵を受けたときは、自分が夢を見ていたのか、さもなければ頭をぶつけて記憶の障害にでも陥ったのかとずいぶん混乱したものだった」とあるので、夢を見ていた可能性や記憶障害の可能性も、最初は梨花も思ったということです。しかし、最終的にはその見たものを「体験した記憶」としてしまった。
夢のように見たものとは何なのか。それは、未来の夢想だと思います。
TIPS 雨雲に恋して
私(梨花)は予定調和が嫌い。
決められた予定が大嫌い。
私は退屈を愛さない。
どんな些細なことであれ、昨日までと違う何かが起こることに期待を寄せてしまうのだ。
私は結局、森羅万象にそういう意外性を期待して生きている。
だから、私はあらすじの決まったテレビドラマを見るよりも。
…空を見上げている方が好き。
幼い頃から彼女は、常に未来を見据えて生きることが癖になっていたようです。毎日毎日、今日とはちがう明日を夢見ていた。その妄想のうちの一つが、あるタイミングから記憶だという勘違いが起こってしまった。この状況に一番近いのが「コルサコフ症候群」という健忘症ではないかと思いました。
(抜粋)
物忘れなどの記憶障害、周りの状況が理解出来なくなる見当識障害などが起こりやすくなります。
ついさっきの事も覚えられず、今何時であるかとか、ここがどこかなどがわかりません。また作話なども記憶障害から起こります。
これは忘れてしまった部分を、覚えているものを繋ぎ合せて埋め合わせようとして起こるものですので、嘘をつこうとして話している訳ではありません。
(抜粋)
主な原因はアルコール依存症に由来する栄養失調とされるが、外傷や脳卒中など、その他の器質的原因によって起こる場合もある。
長期記憶の前向性健忘と見当識の障害を伴う逆向性健忘が、同時に起こる。健忘に対し、作話でつじつまを合わせようとすることも特徴である。思考や会話能力などの知的能力に、目立った低下は見られない。コルサコフ症候群の患者は被暗示性が強く、過去の記憶と妄想の区別がつかなくなる。
「今何時であるとか、ここがどこかなどがわかりません」
「過去の記憶と妄想の区別がつかなくなる」
「作話によってつじつまを合わせようとする」
まさにこれです。
コルサコフ症候群が発症すると、健忘によって近時記憶が瞬間消え、見当識障害によって時間感覚が飛ぶ。そして、過去の記憶と妄想の区別がつかなくなる。妄想であったはずの「夢想した未来」が、過去の記憶との混同を起こし始める。記憶の整理をしなければならない。ここで、羽入という存在が助けに役立ったと考えられます。
「多くの患者は不安または興奮状態にあり、起きている事象に関する質問を繰り返すことがある」とされる抜粋の内容どおり、梨花は最初にこの現象に陥った際に、羽入に質問しまくったにちがいありません。「ずいぶん混乱したものだった」なのですから、とても正常とはいえない精神状態だったんでしょう。羽入はそんな梨花の状態を鑑みて、それは夢でなく現実で、実際に体験したものだと教えたのではないでしょうか。
作話によって記憶の再整理が行われた。嘘であっても脳をごまかして記憶の空白を埋めることは、気持ちを楽にするための処方箋なのですね。
そのときの辻褄合わせは、「未来の記憶は、体験したものだよ」「体験したあとに、今の世界に戻ってきたんだよ」「オヤシロさまだから、タイムリープして戻す力があるんだよ」のような理屈です。これくらいで納得できるもんじゃないですか、幼い子供の脳は。彼女的にはこれで辻褄が合ってしまったので、以降の同じようなできごとに対しても、脳は自動的に補完がされるようになっていった。
この、夢と現実の錯誤については、下記のような所見もあります。
(抜粋)
夢と現実の区別は実のところ曖昧です。前述しましたが、脳が現実と認識したものを私たちも現実と認識しているのです。脳が何をもってそれが「現実」であると判断しているのでしょうか?それは周囲の状況です。朝起きて、布団の中で目を覚ませば、どんなリアルな現実でも「今までの事は夢見たんだな」と認識出来ます。でも夢の一部分が記憶に残り、それが日常ありえる状況だとすると、それが現実だったか夢だったか判断する基準がなくなります。誰かとの会話であれば、その相手に確認しなくては現実の判断はできません。現実とはそれだけ儚いものです。日常とのつじつまが合わないものは夢、会うものが現実と区別されています。つまり周囲の状況が唯一の判断基準であるわけです。
夢と現実の区別がつかないのは病気?夢を現実と思い込む現象の正体
(抜粋)
「夢を見た」という記憶が残るのはOKですが、夢そのものが「記憶」として定着してしまうのは困りますよね。いったい、「夢」と「記憶」の境目って、脳はどう判断しているのでしょうか?脳の判別基準はズバリ、「周囲の状況のつじつまが合っているか否か」。つまり、つじつまが合っている夢は「現実の記憶」と思い込んでしまうのが脳の基本システムなのです。
空を飛ぶなど現実にあり得ないような出来事や、マーブル模様のライオンが出てくるなんていうファンタジックな夢なら、脳もすぐに「夢だな」と判別できます。ところが、実在の人物が登場した、実際ありそうな会話をした、現実の続きのような仕事をしたなど、「いかにもありそう」な夢は「記憶だ」と勘違いする事態が起こりやすいのです。
脳がそのふたつを区別する基準は、辻褄が合っているかどうかだけなのですね。ビックリです。つまり、突拍子もない夢であっても辻褄が合っていたならば、それが記憶として刻まれることもあるということを説明しています。
梨花の部活動での振る舞いを思い起こして下さい。彼女は人の心理の1歩も2歩も先を読み、自らの行いがどう他者に影響し、どういう結末になるかを理解して振る舞っているのが描写されているかと思います。これについての例なんて、ひぐらしの中にくさるほどありますよね。圭一曰く相当な狸だそうですよ。つまり、彼女は先を読むことに非常に長けているということです。
圭一「あれは、……想像の中だったのかな。……何だかさ。そういうIFの世界が他にもあったんじゃないかって思うんだよ」
レナ「想像力が本当に豊かな人は、あらゆる可能性の世界を垣間見ることができるって言うもんね。
だから、圭一くんが本当に悩んで未来を見据えた結果の想像ならば、それは単なる想像の世界ではなく、確かに有り得た別の可能性の世界の情景なんだと思うよ」
梨花は、この想像力に秀でていた。なぜなら幼い頃から毎日のように未来を想像しながら生きてきたから。それは、別の可能性の世界の情景として思い浮かべることができるほどに。だからこそ、容易に辻褄が合ってしまったのでしょう。彼女の想像力は、未来に起きてもまったく不自然じゃないくらいに正確だったため、彼女の脳は、それが夢なのか現実なのかの区別がつけられなかった。
その鋭すぎる先読み能力が見せる、想定される未来予想図をいくつもいくつも無数に浮かべ、無意識下に保存していった。これが、「カケラ」の正体です。そしてその未来予想図のひとつが、健忘症を発症した際に夢から現実へと変換され、記憶の再整理を経て実体験として補完される。この繰り返しこそが、彼女のループ現象の正体です。
この工程を、一体何度繰り返したのでしょうね。何百回、何千回。何万回。百年ループしているらしいですからね。記憶が飛ぶたびに、この作業を繰り返していった彼女の脳は、自らが無限ループしていることを疑わなくなってしまった。
TIPS 昼の出前リスト3
学習型の妄想に伴う危険性は、短絡的に事実を誤認する点にあります。
また、対象者にはわずかですが、独善的な言動を好む傾向も見られます。
もちろんこれは極めて軽微なレベルであり一般的な生活に何の支障もありません。
健常な人間であっても、日常生活において空想行為(妄想)をすることは少なくありません。
ただしその内容が非現実的であるため、当人にも了解できず自然と無視されるのが普通です。
ところが、了解不能にも拘らず累積してくケースが存在します。
これは性格によるものが大きいとされ、対象者は比較的この思考傾向が強いと思われます。
対象者のケースでは、これら了解不能な妄想が累積し、生来の伝聞・学習によって独自の解釈を展開し、了解不能な妄想を『祟り』と解釈することで了解可能としたと思われます。
了解可能な妄想体系は了解可能な『事実』として認識し、自らの信念を時間と共にますます強固にしていきます。
本人にも問題行動の自覚はなく、また妄想体系を本人なりの解釈により了解しているため、高度な理論武装をしているケースが少なくなく、第3者がそれを妄想であると指摘することは極めて困難です。
また、妄想の傾向にもよりますが、被害を受けた際にネガティブな予想・推測を行い、結果、架空の敵を作り上げ反社会的な行為に踏み切ることもあります。
幸い、今回の対象者はここまで重度には至っていません。
適切な治療を受けることで、容易に社会復帰を果たせるでしょう。
上記はレナに対する医師の所見ですが、「今回の対象者はここまで重度には至っていません」とされるレナと違い、そこまでの重症に陥っていると考えられるのが梨花です。上記の引用の『祟り』を『未来を体験した後タイムリープしてきた』に置き換えて、再度読んでみてください。それがそのまま、梨花の状況を示しているのです。
何年も後のことを想定するなんてことが人間にできるのでしょうか。いくら先読みの能力に長けていたとしても、それは人の所業としてありえることなのでしょうか。
それは医学で説明する部分ではありません。核心にふれたならば明らかになる、そういうファクターです。
ちなみにですが、コルサコフ症候群の原因にアルコール依存症が挙げられているのも興味深いです。だから梨花は原作でワインを飲んでいたんですね。この病気を連想させるための伏線ということなのかもしれません。
ーひぐらし大医学部神経学科資料(了)
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