鷹野の思惑

 

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レナや詩音に接触してきたこと、スクラップ帳作成の意味など、鷹野にはいまだによくわからない行動が目立ちます。その辺りを探ることで、派生して見えてくる真実をあぶりだしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

鷹野が雛見沢症候群の病原体を発見したのが79年の段階です。それから研究を進め、83年の段階ではその病原体がヒト(の脳)にどのような影響があるのかくらいまでは分かっていたでしょう。まあ報告書には、彼女らの思い込みも多分に含まれていたのは言うまでもありませんが、それでも科学的に解明がなされていったのは間違いありません。

  

鷹野の持つスクラップ帳は、そんな彼女の科学的な追求とは一線を画す内容となっています。そこに書かれているものは「オヤシロさま信仰」についてでしたね。雛見沢症候群の解明に人生のすべてを捧げてたはずの鷹野が、それと関係のない「オヤシロさま信仰」というオカルト分野に手を出し、周りからオカルトマニアの称号がつけられるほどにまで深い文献を残していることには、違和感しか感じられません。

 

研究とは別に趣味でやっていたなんてことは、間違いなくありえません。彼女の人生ほど趣味という言葉が似合わないものもありません。彼女は、趣味にかける時間を惜しみ、それをひたすら勉学のために費やし、雛見沢症候群の科学的な解明に命を賭けていました。オヤシロさま信仰の歴史の追求なんて趣味に時間を使う余裕なんて、1分1秒もないはずです。

 

 

 

どう考えたって、オカルト趣味なんて彼女の擬態です。富竹の「カメラ趣味」と同じですね。カメラマンを擬態し、雛見沢に訪れる真の理由を隠していた富竹と同じく、オカルト趣味の擬態の影で、鷹野にはスクラップ帳をしたためる真の理由が別にあったと考えるしかないでしょう。

 

 

 

 

その理由は彼女の立場になって考えれば見えてきます。雛見沢症候群の研究を進めることで、雛見沢症候群は雛見沢村に "現在" 蔓延しているのだ、ということは説明できます。しかし、"それが過去にも蔓延していた" を証明することはできません。高野一二三博士が残した文献は、過去の雛見沢にすでに雛見沢症候群が蔓延していたことを示唆し、過去の異常な現象をすべて雛見沢症候群で説明しようとしたものになっていますよね。それが正しかったことを証明するためには、「現在、雛見沢症候群が蔓延している」という研究の延長線では説明に限界があるのです。

 

「たしかに雛見沢症候群の仕組みは理解しましたが、過去の雛見沢においても同じ状況だったことを示すデータはなにかあるのですか?」

「今は雛見沢症候群が蔓延しているのは分かりましたが、過去の症例はたまたま偶然似たような症状を発症しただけなんじゃないですか?」

 

このような質問が東京からされた場合に、鷹野は「ソンナノ容易ニ推察サレルダロバカドモメ」という返答しかできません。高野一二三は正しかったということの証明には至らないのです。これは、感染経路が同定されてないとした前述の説明ともリンクしてきます。雛見沢症候群の病原体がどこから生まれ、どのように広がったかが科学的に解明できていないからこそ、現在の雛見沢症候群の解明だけでは過去には存在していなかったかもしれない可能性を否定できない。おじいちゃんをバカにしていた奴らを論破できる客観的な材料がない。だから鷹野の研究は終われないのでしょう。それを解明することこそが、彼女がおじいちゃんの研究がすべて正しかったことを証明するために必須なことなのですね。

 

 

 

 

ですから鷹野は、それを雛見沢の歴史に見出そうとしたのでしょう。その歴史を一番良く知っているのは御三家であり、その筆頭である園崎家。彼らに代々受け継がれてきている雛見沢村の暗部の中に、雛見沢症候群の出自と感染拡大の秘密、その証拠があると踏んだ。だから彼らからそれを示す証拠の資料を手にすることをねらった。

 

 

スクラップ帳は、そのための撒き餌だったと考えればいいのではないでしょうか。オヤシロさま信仰を様々な角度から解釈しようとしたその試みの中に、一つでも彼ら御三家の琴線に触れるものがあればよかった。

 

「鷹野よ。お前は秘密を知りすぎた。」

 

このようなリアクションが彼らから為されることを期待した。スクラップ帳を誰かに披露することで、それは当然御三家の耳にも入る。オカルトで片付けられる内容であるうちは無視すればいい。しかし内容如何では、もし一般に信用されたらまずいという内容にまで踏み込めたならば、果たして静観していられる?「もしかしたら鷹野さんのあの説だけは本当かもしれない」という風潮がいつ起きないとも限らないわよ。私を始末したほうがいいんじゃない?

 

このような思惑を秘めて、いろんな説を披露して周った。何かが御三家の秘密にかするものであることを信じて。何もリアクションがなければまた新説を披露し、彼らが自分を暗殺しにくることを待ち続けたのです。

 

そして、もし自分が襲われるようなことがあれば、何がかすったのかのおおよその見当がつけられる。それをネタに、園崎家を脅すことが次にしなければならないことなる。そして最終的には彼らから秘密の資料を提出させること。この順路が、鷹野が過去の雛見沢症候群を説明するために必要なプロセスであり、物語中に描かれているのはそのファーストステップの部分だったのです。

 

 

 

 

 

 

 

目明し編における詩音への接触は、上記の理屈でほぼ説明可能です。園崎家からのリアクションがまったくなく何年も過ぎたころに出会えた詩音という存在は、園崎家を別角度から揺さぶるためのパーツにふさわしすぎます。

 

次期当主の魅音の妹で、姉との接点も深い割に園崎に染まりきってもいない、そんな詩音には、見せるだけでなくそのすべてを渡してしまって、詩音なりのアクションを起こしてもらおう。私とはちがって詩音の立場はそれなりに園崎家の中で無視できない存在だ。詩音がもしスクラップ帳をもとにした何かのアクションを起こせたなら、それは園崎家の琴線に触れるにちがいない。それを観測することで、何かがわかるかもしれない。このような思惑があったのでしょう。

 

 

ちなみにですが、スクラップ帳の内容は園崎家にノーダメージだったかといえば、実はそうでもありません。なぜなら、罪滅し編において鷹野死亡を受けて、 鷹野の自宅からわざわざスクラップ帳を回収したのはなんと園崎家だからです。

 

罪滅し編

園崎ママ「鷹野三四のスクラップ帳です。残念ながら竜宮レナに手渡したと思われるものは含まれておりません。これを本日の肴にいたそうかと思います」

熊ちゃん「……中身を拝見させていただいても構いませんか」

園崎ママ「えぇ、どうぞ。それらは鷹野三四の死亡の際に、興宮の自宅から発見したものです」

 

なんで園崎家にスクラップ帳があるんですか。なんで回収するんですか。おかしいじゃないですか。園崎家にとって鷹野のスクラップ帳は、妄言といえど放置するにはいささか目障りだったことは間違いありません。鷹野はそれなりにダメージを与えられてはいたんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただし、罪滅し編におけるレナとの接触は、上記で説明することは困難です。なぜならば、レナとの接触した頃より少し前に、鷹野は研究続行を諦めているからです。鷹野の思考はあの時点ではすでに終末作戦に向けられており、雛見沢症候群の追求に対する意欲はもはや存在しないと考えられます。鷹野がやりたいことは、自分が知ることではなく全世界に認知させることだからです。そのための道筋はもう途絶えていますから、今さら雛見沢村の過去の秘密を知ったところで鷹野にできることは何もありません。

 

これは、祭具殿侵入事案とも関連してきます。鷹野と富竹が綿流しの日に祭具殿に侵入する意味は、傍から見れば不思議な事はありません。オカルトマニアの鷹野が、オカルトの知見を伸ばすために侵入したんだろうという説明で完結する話です。

 

しかし、鷹野の思惑を読み解いた上で眺めたならば、それはまったく意味のない行為にしか映りません。もし仮に祭具殿の中で貴重な発見ができたとしても、もうその夜から終末作戦が決行されるのですから、その発見から秘密を解明して世界に知らしめる時間などまったくありません。

 

それでも鷹野が祭具殿に侵入することは、彼女の固い意志が感じられます。なぜならば、様々なカケラに共通する行為は意志の強さを示すものだからです。つまり、鷹野にはそれをしなければならない別の思惑があることを読み取らなければなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、下記のように説明できるのではないでしょうか。鷹野は、終末作戦後には自分が始末されることが予測できています。ですがもしスクラップ帳を後世に遺すことができたなら、そしてそれがもし世間に渡るようなことがあれば、終末作戦の様相が「雛見沢大災害」ではなく「陰謀」に変換される可能性を遺せるのです。実際に赤坂は34号文書(スクラップ帳)の発見から、陰謀論に思考を展開させていっています。

 

つまり、終末作戦決意後の鷹野にとってのスクラップ帳の存在意義は、園崎家の揺さぶりではなく、ただの「天災」で片付けようとする政府に一矢報いて、雛見沢症候群の存在や高野一二三の研究の存在を後世に遺せる可能性をかすかに秘めたものだったのではないかと思うのです。

 

 

スクラップ帳は、処分されずに後世に遺せる可能性は高いです。その膨大な量のオカルト本からは、雛見沢症候群の証拠を示すものなどないからです。もともとが雛見沢症候群の実態を示す何かを外部に持ち出すことをアルファベットプロジェクト内で禁止しています。情報漏えいの防止のために人殺しまでやってのけるのが山狗なのですから、それはもちろん鷹野たちにも厳しく律されていたことでしょう。

その検問を通過して作成できたのがスクラップ帳なのですから、そのスクラップ帳の内容は終末作戦の処分対象にはなりえない、という読みはあったとは思います。鷹野の自宅は興宮ですから、封鎖地域の外側ですしね。

 

(余談ですが、だからこそ、雛見沢症候群の正体が寄生虫ということはありえないと断定できます。スクラップ帳にそのことがそのままの答えとして書かれているからです。未知の寄生虫が雛見沢症候群の原因ならば、スクラップ帳の存在は入江機関にとって情報漏えいの証拠品にしかならないため、外部にて鷹野が披露することが不可能だからです。)

 

 

 

ただ、処分されてしまう可能性もありえなくはない。実際も、鷹野の予測にない園崎家が回収してしまうという事態により、封鎖地域内部にスクラップ帳が埋まってしまい、後世に遺ったとされるのは罪滅し編のみで表現されている次第になってしまっています。

だから鷹野は、終末作戦の数日前から、これぞと思われるスクラップ帳を数冊ほど携帯するようになったのではないでしょうか。最悪は自らの手でどこかに横流ししなければならないと感じていたのでしょう。

 

そしてそれを罪滅し編では、レナに渡したのではないでしょうか。

 

レナは雛見沢症候群の高レベル発症をきたしています。だから、何かの異常な事件を起こしてくれることを期待した。そうすればスクラップ帳は、警察が証拠資料として回収することになる。処分しようとする連中から遠ざけられる可能性が高まる。つまり、警察内部にスクラップ帳を保管してもらうことで、自分がこのまま携帯しているよりも後世に伝えられる可能性が高くなると踏み、レナにスクラップ帳を渡したのではないかということです。

 

 

 

 

 

 

実際レナはスクラップ帳の影響で営林署人質事件を起こすことになるのですが、ではなぜ鷹野はレナが異常な事件を起こすと分かったのでしょう。ここに、ひぐらしにおける異常事件のからくりの一端が隠されているのです。

 

 

 

鷹野は、レナに、H173(トリアゾラム)を盛ったのです。

 

 

 

 

レナは鷹野から、自販機のアイスミルクティーをごちそうになりました。もちろん紙コップ式のやつでしょう。それにまさか薬が盛られているなんて思いもしなかった。そしてそれは鷹野からすれば、雛見沢症候群感染者には症状の重篤化に一役買うものだった。その反応を観察し、異常事件をこれから起こすことになるかもしれない素養を見出そうとしたのです。

 

 

 

実際レナはどうなったか。

見事トリップしちゃいましたね。

 

これは潜在感染者として合格だ、と鷹野は思ったことでしょう。だからそのままレナにスクラップ帳を譲渡したのです。

 

 

 

レナが罪滅し編における終盤の営林署人質事件に至るまでにどんどん狂っていったその元凶は、鷹野が盛った薬のせいだったのです。重篤度合いを示すと思われる、罪滅し編においてのレナの赤色の文字は、リナや鉄平を殺害したときには実はそれほど濃くなっていません。それが鷹野との邂逅以降、日に日に赤色が濃くなっていっています。

 

 

これが意味することは、ベンゾジアゼピン系の薬を服用していた茨城時代にかかってしまったベンゾジアゼピン依存症が、鷹野が盛ったベンゾジアゼピン系の薬を服用したことによって再発し、さらにもうこれ以降摂取できないのですから、離脱症状を発症してしまったということなのです。

 

 

 

レナの凶行は、ベンゾジアゼピン離脱症候群で説明可能です。(H173 参照)レナもまた、雛見沢症候群の感染者などではないのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

もう一つが祭具殿侵入事件。

こちらももう明白ですね。祭具殿の中の物を写真に撮ってスクラップ帳に貼り付け、それらを後世に遺したいと思ったのです。皆殺し編にて、鷹野が梨花から祭具殿侵入の許可を得たときの反応を見てみましょう。

 

鷹野「それで、撮影は可能なの?!」

梨花「可能ですが1枚100円なのですよ」

鷹野「えええぇえぇ!!」

梨花「……1万円払うと、お得な1日撮り放題券になりますです」

鷹野「安い!!払うわ!!」

 

 

まず撮影が可能かどうか尋ねていますので、撮影がもっとも重要であることを示しています。また、1枚100円をしぶるのに1万円撮り放題は安いと言うのなら、鷹野は100枚なんてレベルじゃないくらい大量に撮りたいということも明らかです。もはや、祭具殿侵入は祭具殿内の撮影と同じ意味ですね。これが鷹野が祭具殿に入ってやりたかったことなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に一つ。

鷹野の思惑とは少しずれるのですが、鷹野の偽装死体についておかしな点があります。その詳細を詰めていきたいと思います。

 

皆殺し編

鷹野「それより。私の死体はドラム缶の中で焼かれていたの?」

「はい。高速道路近くの山中でドラム缶の中で焼けていたのを発見されたそうです」

 

この連絡員の発言は、とても変です。 ドラム缶で焼けていたのを「発見されたそうです」ってどういうことでしょうか?「はい。高速道路近くの山中でドラム缶の中で焼いたそうです」ではないですか、ふつう。これでは鷹野の死体を用意したのも、ドラム缶で焼いたのも、山狗ではないことになりますね。

それでもこの事案は、5年目に必ず起こる現象です。鷹野と山狗の思惑と別の事象で、必ず起こされるこの焼死体の意味って、一体なんなのでしょうか。

 

 

 

 

まずこの焼死体の「時と場所」について、推理のとっかかりにできる環境があります。それは「5年目の祟りは警察と園崎家が合意し、もし何かが起きても公にしない協定が結ばれている」という環境です。実際、鷹野や富竹の死を圭一たちは、大石を介さない限り知るところではありませんでしたね。

 

あの焼死体は、それが不都合だったと考えれば辻褄が合ってきます。場所は、隣の県の県境。死体の取扱いはお隣の県警の管轄です。上記の5年目の祟りの協定の届かない場所なのです。もしその焼死体が雛見沢で見つかれば、5年目の祟りの協定上、警察はその死を公にしないことになります。しかしお隣の県警は、そんなこと把握していません。当然公にしようとするでしょう。

 

これが犯人にとって都合がよかったのではないでしょうか。犯人は、5年目の祟りの協定を知っていた。知っていてなお、この焼死体はその扱いでは困ることだった。

 

 

 

この条件に当てはまる犯人像はひとつしか思い浮かびません。園崎家です。

 

 

 

 

祟殺し編を思い起こして下さい。

間宮リナを殺害したのち、その拷問死体を見せしめにし、逃げている共犯たちにプレッシャーをかけようとしていました。これと同じなのではないでしょうか。時期的に5年目の祟りと同じ時刻にその人物を死亡させてしまった園崎家は、祟殺し編の間宮リナと同じような形にしてしまったら、警察がその死を伏せてしまうことに気がついた。「見せしめにできない」ことに気づいたのです。

 

だからその死体を隣の県警が扱えるようにしたかった。そうすれば死体が公表される。無残に焼き殺されたという恐怖を、逃げている連中に植え付けられる。これが目的だったのです。

 

死後24時間が経過していたというのも、これでスムーズに解釈できます。24時間前は綿流しの日が目前の深夜です。いくら隣の県警の管轄であっても、綿流しの日に死体が見つかったなら、興宮警察の圧力がかかって公表を控えてしまうこともありえなくない。だから、綿流しの日が過ぎる深夜に死体を焼き、発見と公表が綿流しの日の翌日になることが望ましかった。そうすれば公表がなされるであろう目算があったのです。

 

 

 

 

 

そして、この事案が5年目に必ず起こることなのならば、園崎家はいつも必ずその人物をこの日に殺してしまうことになります。そんな人物っていったい誰なんでしょうね。私は、上記に該当するその人物を本編中から見つけ出すことができませんでした。ですのでこれは、間宮リナの園崎上納金強奪事件の延長線上のできごとだと捉えるしかないと思っております。

 

 

 

 

間宮リナがいないと、この上納金強奪はできないのでしょうか。そんなことはないんじゃないでしょうか。間宮リナが参加しようがしまいが、それは決行されていた。そう考えてはいけない、間宮リナがいないと強奪できない伏線なんてないんじゃないかと思うのです。金魚のふんみたいな間宮リナの取り巻きの男たちに、自分たちの意志が無いってのもなかなか考えづらいですし。リナはレナパパという金づるを見つけて、強奪に参加しない場合もあるわけですし、その場合、男たちは何もせずに指くわえているだけなんてありえるんでしょうか。それはないんじゃないですかね。

 

ということで、園崎家上納金強奪事件は5年目の雛見沢にて、必ず行われる事件だったと考えられるのではないでしょうか。それにより、園崎家は必ずその報復に乗り出すのが5年目の定例行事だった。逃げている男たちの誰かに女がいたとすれば、その女を見せしめに殺すことで、恐怖を与えられる。この焼死体の正体は、逃げている男たちの誰かの彼女だったと考るのが一番自然なのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

皆殺し編

梨花「……小此木。鷹野が死んでしまいましたですが、ボクは大丈夫なのですか…?…大石に聞きました。鷹野が実は死んでいないというのは本当ですか?」

小此木「まさか。現地の県警の正式な発表ですんね」

 

魅音「うん。それで綿流しの晩にはもう失踪していたらしいんだよ……」

レナ「…オヤシロさまの祟り、かなぁ…」

圭一「さすがに5年も連続すると薄気味悪いよなぁ」

 

皆殺し編において、焼死体は鷹野であるということがすでに公表されています。魅音が圭一たちに上記の話題を提供しているタイミングでは、魅音が失踪していたと表現するに該当する人物は存在しません。じゃあ魅音はこのとき何を言っているんだってことになりますよね。

 

 

これは鬼隠し編と同じで、間宮リナのことを言っているのではないでしょうか。皆殺し編は、レナが父とリナとの縁切りに成功した物語で、TIPSでもリナは園崎上納金に手を出していることが伺えます。

 

園崎は、リナをすでに殺害していたのでしょう。そしてその死体は、皆殺し編においてはあの焼死体だった。これが、焼死体が園崎上納金強奪事件の延長線上の出来事であることを伺える伏線だと思うのです。

 

 

皆殺し編

梨花「……鷹野の死体が違う可能性があるらしいのです。現地の県警が協力的じゃなくてあやふやなことを言ってるらしいです」

魅音「私ゃ何だかその死体、おかしいなぁって思うねぇ。客観的に見て、鷹野さんだけ隣の県で死体が見付かるのがすでにおかしいよ。富竹さんを殺した風に偽装するなら、死体は絶対に見つからないところに隠す。山中で野焼きなんて、見つけてくださいって言ってるようなもんだもん」

レナ「うん。レナもそう思うな。警察の管轄の及ばない県外で見付かった身元の確認しにくい焼死体を鷹野さんということにしようとしている気がする」

 

 

だから魅音は、あの焼死体が鷹野だと発表されたことにおかしさを感じていたのでしょう。それが、梨花の打ち明け話を受けて氷解した。無能の魅音らしくないでしょ。上記の推理。レナも真っ青の名推理じゃないですか。そりゃそうです。死体が鷹野じゃないって知っている上での推理なんですから。

 

 

皆殺し編における焼死体がリナであるならば、その他のカケラでの焼死体も同じカテゴリーと見ていんじゃないかって、私は思うんです。

 

 

 

 

 

 

 

このように読み解くことで、ここから派生する解釈が2点出てきます。1点目は、上納金強奪は必ず行われるのならば、それは果たして本当にこの男たちと間宮リナだけで計画されたものなのかということです。

 

意志の強さが、すべてのカケラに共通で起こる事件の裏にある。

 

それほどの意志を、彼らは持っていたのでしょうか。誰かが強い意志で計画したその波に、乗せられただけなのではないでしょうか。園崎家の仕業だと思ってくれる祟りの傘に隠れ、暗躍した鷹野のように。この上納金強奪事件も、その傘に隠れ、暗躍した強い意志を持つものがいたのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

2点目は、お隣の県警が鷹野死亡を公表するタイミングの話です。

 

本編では、焼死体発見を受けて大石ら興宮警察との交渉がなされます。だからしばらくはお隣の県警も公表できなかった。しかし時間とともにその圧力も薄れ、数日後には公表という流れになっています。

 

 

綿流しの日の数日後に発表になる。このタイミングって、実はあることと符合しています。それは梨花死亡のタイミングです。

 

梨花は綿流しの日の数日後に殺されるのですが、具体的に何日に殺されるのかがよく分かっていません。鷹野の強固な意志が働いているのですから、殺される日も一定でいいはずなのに、なぜかブレるそうなのです。それも、この鷹野死亡の発表という事案を考慮すれば真実が見えてきます。

 

皆殺し編

L5の末期発症による異常な死には、東京が入江機関に対し疑いの目を向けさせる意味もあった。

……そして死が求められたのは富竹だけでなく、鷹野もだった。

連絡員富竹と監視員鷹野の二大要人が変死すれば、東京は入江機関に疑いの目を向けないわけにはいかなくなる。

入江機関の暴走を装うのが終末作戦の重要な部分だった…。

 

終末作戦は、鷹野と富竹の死亡を受けなければ、発動できません。鷹野の死体はいつもあの焼死体にされてしまうのですから、綿流しの日から数日間は、鷹野は死亡ではなく失踪という認識になるということです。このままでは、入江を殺害する大義名分も、梨花死亡が入江の仕業だとする大義名分も作れないのです。

 

だから梨花は、鷹野の死亡を県警が正式発表するまでは殺されなかった。お隣の県警が公表するのは、いつも興宮警察の圧力が屈したとき。これが常に一定ではないために、鷹野死亡の公表はいつも一定ではなかった。だからこそ梨花の死亡の日付も、一定ではないのです。

 

 

 

これが見えれば、皆殺し編において羽入が「梨花が死ぬのは今日です」と言えたことが不思議でなくなります。一見予知のように思え、神通力であるように感じてしまうこの描写も、予知でも何でもなく「県警の発表が昨日だったから、じゃあ梨花が殺されるのは今日で決まりね」という推理だったと説明できるのです。

 

 

 

 

 

 

ーひぐらし大学ミステリー研究会調査ファイル(了)

 

 

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