この事件は、綿流し編と目明し編で起こります。そして、事件のヒントが皆殺し編に表現されています。この三つのカケラを俯瞰することで浮かび上がる不明点とその真実。それについて綴っていくことにします。
まずは、音です。
詩音と富竹にしか聞こえなかった音とは何だったのかを紐解いていきたいと思います。とっかかりとして注目したのは富竹です。彼のセリフを振り返ってみましょう。
綿流し編
「何だかドタンバタンと飛び跳ねるような音がよく聞こえたからね。」
皆殺し編
「……さっき、子どもが遠くで飛び跳ねるような音が聞こえたんだよ。……この建物の周りで子どもが遊んでいるのかもしれない」
綿流し編と皆殺し編でちがっているのは、富竹が祭具殿の中にいるか外にいるかです。富竹は、よく聞こえた綿流し編では祭具殿の外に、遠くに聞こえた皆殺し編では祭具殿の中に、いました。
これは、音の発生源が祭具殿の外であることを示すものだと思います。しかしそれでも綿流し編の富竹は、祭具殿の中から聞こえたように思ってしまったという状況だったのでしょう。
次に詩音。
目明し編で彼女が最初にその音を聞いたのは、オヤシロさま像のそばでした。その音は鷹野と圭一には届かなかった。これは場所的な問題かと思います。オヤシロさま像の配置は、祭具殿の奥の方です。そのそばでは聞こえるが、鷹野や圭一がいた位置くらいだと聞こえない、というような音だったのかと思われます。
上記の二つの目線から導き出される答えは、音の発生源が祭具殿の奥の外側の壁辺りである、ということなのかと思われます。ここで音が発生したならば、祭具殿正面にいた富竹には、祭具殿内から発生したものだと思ってしまっても不思議はありません。祭具殿内からであっても、その壁の近くであれば聞こえる音ではあるものの、その壁から離れると聞こえない、そんな音だったのかと思われます。
そんな音に関係しそうな伏線はひとつ。沙都子が祭具殿によじ登って通気窓から侵入した祟殺し編。
よじ登るときのすべったり部分部分で着地したりする音。もしくは賽殺し編の梨花のように、木によじ登ってから屋根に飛び降りる音。このときの音だったのではないでしょうか。そうであれば、上記の富竹のセリフに説明がつけられると思います。また、位置的にも祭具殿内のオヤシロさま像のそばにいなかった鷹野と圭一は、オヤシロさま像の壁際、つまり祭具殿奥の壁から離れた位置なので聞こえなかったという説明がつけられます。
詩音は、その壁のそばにいたから、よじ登るときの音が聞こえてしまったという状況なのではないでしょうか。
ただ、この考えだけですべてを説明することはできません。なぜなら詩音は、位置的な問題と無関係に、祭具殿内のどこにいても音をずっと聞き続けているからです。これは、また別の現象と捉えるしかありません。
(抜粋)
音が耳に残った経験ありませんか?耳に残るというのは、頭の中で流れてるってことです。音が鳴ってないのに、聞こえるんですよね。普通は、上記の様に音が耳に残ることがあっても、しばらくすれば収まります。これが収まらないのです。頭の中の音は、周りが静かな時ほど気になります。周りがざわざわしていれば、気にならないのですが、自分の部屋でひとりでいるときなどの周囲に音が無いとき、頭の中の音が、ずっと鳴っているのが聞こえるのです。悪化していくと、CMで何気なく流れていた音楽が数週間、耳に残ってしまい、うるさくてテキストが全く読めなくなりました。部屋は静かなのに。全然集中できないし、でもどんどん焦りが募っていくし、この時期は本当にしんどかったです。それで、(自分の部屋だと静か過ぎてうるさいから、ざわざわしてうるさいところへ行って勉強しよう)と考えて、出かけようとしたときにやっと、(部屋が静か過ぎてうるさい…っておかしくない?)と気が付きました。今考えれば、どう考えてもおかしいんですけど、うつ真っ最中の私は全く気が付きませんでした。気づいたあと、すぐ心療内科へ行きました。うつは、音に過敏になるのが一つの症状と言われています。
この方の体験談こそが、詩音の置かれた状況をそのまま説明するものだと思いました。つまり、最初に聞こえた壁際の音がずっと頭の中に残ってしまった、ということなのではないでしょうか。
この方は、うつの体験を語っています。詩音は、うつというよりは「躁鬱」、つまり「双極性障害」のほうが近いかと思います。
(抜粋)
抑うつの特徴と躁病の特徴が両方見られる状態を指す。行動は増えているのに気分はうっとうしいという場合が多いため、自殺の危険が高い。肉親に双極性障害の人がいる場合、発症年齢が若い(25歳未満)、幻聴・妄想などの精神病性の特徴を伴う場合、過眠・過食などの非定型症状を伴う場合などは、双極性障害の可能性が高まる。双極I型障害の極期には幻聴・妄想を伴うことがあるが、統合失調感情障害では気分の症状がない時期にも精神病症状がある
(抜粋)
具体的には、衝動的行動、二極思考、対人関係の障害、慢性的な空虚感、自己同一性障害、薬物やアルコール依存、自傷行為や自殺企図などの自己破壊行動が挙げられる[5]。また激しい怒り、空しさや寂しさ、見捨てられ感や自己否定感など、感情がめまぐるしく変化し、なおかつ混在する感情の調節が困難であり、不安や葛藤を自身の内で処理することを苦手とする[6]。
上記は、詩音を説明するのに適していると思われます。彼女は、自宅にふさぎ込んで何日も食事もしない「うつエピソード」と、すぐキレる、通称『園崎のやべー方』と称される「躁エピソード」の両極の情動を持ち合わせた人物です。それは「双極性障害」もしくは「境界性パーソナリティ障害」のどちらかあるいは両方の障害を疾患していることを示しているのだと思うのです。
詩音は、すでに悟史という幻覚、幻聴の症状を発症してしまっています。つまりそれは、双極性障害のうつの精神病症状を示しているのです。であるがゆえに、音に対する誤認、頭の中で残響するという聴覚異常が起きやすかった。高ストレス下、静寂な室内、すべては妄想的な残響音が起きやすい状況を示しているのです。
この妄想的な残響音ていうのは、「ぺたぺたと足音がひとつ増えた」ってやつのことも示していると思います。うつの症状が強くなったから、聴覚に異常をきたし、自分の足音が残響したということなんじゃないでしょうか。
まとめると、祭具殿に裏からよじ登る際にすべったときや飛び降りるときなどの大きめな音を、富竹は祭具殿入り口付近で聞き、詩音は祭具殿内のオヤシロさま像の近くで聞いた。詩音は、うつの精神病症状を発症していたため、その音が頭の中でこだましてしまった。鷹野と圭一は、場所的に聞こえる位置にいなかった。これが音の正体だと思います。
で、もちろん、よじ登ったのは誰かって話になります。
それは多分、沙都子だと思います。
綿流し編
梨花「……圭一、見ーつけたー、なのです」
魅音「はーー、やっと見つけた。あとは沙都子かー」
レナ「今年はみんなはぐれちゃったね。来年からはちゃんと合流場所を決めておきたいな。はぅ」
沙都子もまた、奉納演舞の際の所在が分かっていません。迷子になっていたそうですが、ホントかどうかは分かりません。沙都子は祭具殿によじ登り、屋根の上から中を伺っていた。だから、全員集合している今この場にいないのではないでしょうか。
沙都子は、祭具殿に誰かが侵入したことを察知したからこそ、このような行動にでたとしか考えられません。どうして分かったのか。それは、トラップマスターだから、っていうことなんでしょうね。
何年か前に祭具殿に侵入したことに罪悪感を持っていた沙都子は、祭具殿に侵入するという愚行を許さないという立場をとることで償おうとした。だから、侵入したらすぐに分かるようなトラップを仕込んでいた。それは多分、圭一が安易に付けてしまった祭具殿前室の明かりのスイッチ。あれが、沙都子に侵入を知らせるためのトラップだった。
沙都子は驚いたし、多分迷ったんだと思います。なぜなら、奉納演舞という梨花の晴れ舞台の直前だったから。見たかったし、見てあげたい、見守ってあげたかった。それでもやっぱり祭具殿に侵入されたことのほうが、沙都子には重いことだったのでしょう。みんなには内緒で、こっそりと輪を抜け出したのです。後で、見ていなかったなんて言えるわけがないので、みんなとはぐれてしまったけど見ていたよ、という言い訳が通用するように。
屋根の通気窓から中を覗いた沙都子には、何が伺えたのでしょうね。鷹野と圭一と詩音(もしかしたら魅音かも?)がいるっぽい。沙都子はおそらく、様々な祭具に触れたり動かしたりことで発動し、天井から吊るされたカゴみたいなのが落ちてくるようなトラップを仕掛けてたんだと思います。知らない連中だったら成敗しようと思っていたのに、圭一たちだったからマズイと思った。それにもし魅音なら、梨花に許可を取って中にいる可能性もある。結構シャレにならないレベルのトラップだったんでしょう。それを解除しなきゃと思った。
だから沙都子は、急ピッチでトラップの解除をしなければならなくなった。それこそドタンバタンと。富竹は、その時の音も聞いていたのでしょう。
梨花には報告できなかった。なぜなら、それは奉納演舞を見ていなかったということを告白することと同じだったから。
こんな流れなのかなあと思いました。
ちなみに、皆殺し編で梨花が鷹野に伝えた祭具殿内での注意事項には、この事情も含まれていたと思います。「中はとても大切な場所ですから、汚したり傷つけたりしちゃ駄目なのです」と梨花が言ったのは、沙都子が仕掛けたトラップが発動しないようにするためだったのです。やたらめったら触ってまわるんじゃねぇ、死にたくなかったらな、と念を押したのです。
つづいてこの事案において抑えなければならないのは、だれが、なにを、どこまで、知っていたかということです。
目明し編においては、祭具殿に4人が侵入したことを詩音みずからが集会で言及してしまったために村中が知ることとなりました。それまでは実はだれもそのことを知らなかったのです。
詩音「今年の祟りの、富竹さんと鷹野さんはダム戦争に直接関係してないのに、なぜ犠牲者に選ばれたの?……やっぱり、祭具殿に忍び込んだから?」
魅音「祭具殿に?!古手神社の祭具殿を侵したの…ッ?!」
詩音「…………ありゃ。知ってるとばかり。」
魅音は、鷹野と富竹の死亡についての報告は受けていますが、それが何故起こったか、祭具殿に侵入したから起こったことだとは知りませんでした。
ここで疑問が生じます。
ではなぜ魅音や婆っちゃは、鷹野と富竹の死を予想できたのでしょうか。
婆っちゃ「しゃもねえやんなぁ。あんの若いんのも、ちょい出張り過ぎゃったんやぁん。」
魅音「まあね。…………オヤシロさまのお怒りに触れたんだから、仕方ないしね。」
婆っちゃ「警察は調べんとっちゅとろんが、すったらん、間違いなかんね。」
魅音「…………多分ね。鷹野さんだろうね。」
上記からは、ドラム缶の焼死体がまだ鷹野だと判明していないタイミングで、それが鷹野だと魅音らは予想しています。祭具殿に侵入したことも知らないのに、なぜ鷹野たちがオヤシロさまの祟りに遭ったことを当然だと思ったのでしょうか。
答えはひとつ。
富竹と鷹野が、奉納演舞の前に『帰った』ことこそが、魅音たちにとって大問題だったのです。
目明し編
公由「…お魎さん。悪い話なんだけど、いいかい?警察が今、身元を調べてるらしい。どうも相当顔面をやられてるらしくて、身元の特定が難しそうなんだと…」
お魎「…顔が分からんでも、おおよその想像はつくっちゃなぁ」
公由「え?心当たりがあるのかい?」
お魎「綿流しの祭りにも顔を見せん不信心者に決まっとろぅがね!ちゃあんとオヤシロさまを敬って祭りに来ちょるんは、そんな目には遭わなんとよ」
上記は4年目の祟りです。
沙都子の叔母が祟りに遭ったこの事件における村の認識として、「北条のバチあたりが、綿流し祭に出席しなかったから、オヤシロさまのお怒りにふれたのだ」が共通認識です。この一件があったおかげで、5年目の綿流し祭は大盛況。みんな祟りに遭いたくなくて、こぞって綿流し祭に訪れることとなったわけですね。
鷹野さんは富竹さんを連れて、儀式に向かう人たちの波と逆行しながら去っていった。
奉納演舞の開始直前に、式場と逆方向に歩く彼らは、とても目立ったことでしょう。欠席どころか、いちばん大事な儀式に背を向けて帰路につく姿は、多くの村人たちの目に止まった。当然、婆っちゃや魅音にも報告が挙がっていたのではないでしょうか。
このような状況を受けて、その深夜、富竹死亡と身元不明の焼死体の情報を魅音はゲットした。なるほど、その焼死体は鷹野にちがいない。だって『あんなスクラップ帳を書くようなバチあたりが、奉納演舞を欠席するなんて暴挙をしたのだから当然だ』。これが魅音側、園崎側の思考のすべてです。
これを詩音と圭一はみごとに勘違いした。祭具殿に侵入したことがバレていると思い込んだ。だから詩音は集会でみずから暴露してしまい、圭一もみんなにバレていて責められている思ってしまったのです。
あとは梨花ちゃんです。
彼女はどこまで知っていたのでしょうか。
詩音がバラしてしまったのは集会にてですが、梨花ちゃんはこの集会に参加していません。集会に来ていただれかから、祭具殿に侵入した事件を彼女に伝えたのでしょうか。それはないです。なぜなら、梨花は圭一が祭具殿に侵入したことを知らなかった様子だからです。
綿流し編
梨花「……ボクのことはいいのです。それよりも、圭一に聞きたいことがあるのです。」
…梨花ちゃんが俺の胴にしがみ付いてきた。
…それが俺をこの質問から逃さないためのものであることに気付き…ぞっとする。
俺の瞳を覗きこんでくる。上目遣いに、…じっと覗き込んでくる。
……それは問いかけずして、俺の瞳から答えを引き出すかのようだった。
梨花「……圭一。お祭りの晩に、…何か悪いことをしましたか…?」
体の芯が、びくりと震える。
その震えは、俺にしがみ付いている梨花ちゃんにははっきりと感じ取れたかもしれない。
上記から梨花は、圭一が祭具殿に侵入したかどうかの真偽を慎重に見極めようとしている様がみてとれます。それは詩音から直前に、圭一が祭具殿に侵入したらしいことを知らされたからこそ、そこで初めて知ったかような描写であることを表しているのです。
だって、そうじゃなかったら梨花が圭一に質問する意味がないです。梨花に圭一を問い詰める意図はありません。単純に質問しているだけです。もし圭一が祭具殿に侵入したことを知っていたなら、質問する必要がまったくないのです。
なので、梨花の知ったタイミングとして、集会に出ていただれかから祭具殿に侵入した事件を聞いたという線は消えます。もしそうなら、侵入者についての認識がなければならないからです。
しかしそれでも、鷹野と富竹の死については、彼女は詩音に聞かされる前から把握していました。
目明し編
詩音「……古手家頭首として、今回の件はどこまで知ってるの?」
梨花「……富竹たちのことですか?」
一般には知られていないはずのあの夜の事件をちゃんと知っているのだから、外見は幼くとも、古手家頭首の肩書きは伊達ではなさそうだった。
祭具殿に侵入されたことすら教えてもらえないのに、彼らの死だけは教えてもらえるなんてことはありえません。つまり、そういう『大人の事情』というヤツを、御三家だからといって梨花はいちいち報告されることはないということなのでしょう。
報告されたわけでもないのに、梨花は彼らの死だけは知っています。これはもちろん、ループ体験として覚えているから知っている、ということになるのでしょうが、果たしてそれだけでしょうか。違和感があるのが、つづくセリフです。
梨花「…オヤシロさまの祟りなのですよ、としか言えないのです。」
詩音「ならまだ終わってないよね?あと2人残っている。その2人はどうなるか、聞いてる?」
梨花「………別にどうでもいいと思いますですよ。」
富竹さんの名前を躊躇なく出したにしては、梨花のこの返答はいやに間があった。返答を少し考えた、ということなのか。
梨花「……ボクは、…ちゃんと反省したならそれでいいと思いますです。…ボクは2匹の猫さんは、…許してあげたいです。…オヤシロさまは、別に祭具殿を見られても怒らないのですよ。見た人もきっと怖かったと思います。だから反省してると思いますのです。」
詩音「じゃあ何さ、あんたはオヤシロさまに怒ってませんよって直接声を聞いて確認したとでも言うわけ?」
梨花は全然恐れる風もなく、ウンと頷いた。
オヤシロさまは祭具殿に侵入したことを怒らないそうです。にもかかわらず、鷹野と富竹は「オヤシロさまの祟りとしか言えない」のだそうです。梨花は、「鷹野と富竹は、祭具殿に侵入するというゲスの極みですら怒らないオヤシロさまの、怒りに触れたから祟りに遭った」と説明していることになるわけですね。
彼らはどこでオヤシロさまの怒りに触れたのでしょうか。あそこでオヤシロさまの悪口を言ったからでしょうか?それはありえません。それならば、祟りは鷹野だけであるはずです。富竹が祟りに遭う理由がありません。富竹が祟りに遭うのなら、一緒にいた詩音と圭一も祟りに遭うはずです。
先述のとおり、梨花は圭一が祭具殿に侵入したことを知りませんでした。それは、あのときあの場で起こったことやなされた会話を、何も知らないことを意味しています。祭具殿の中にテープレコーダーか何かがセットしてあって、後でそれを聞いて彼らが侵入していたことを知った、なんてことはありえないわけですね。なので、鷹野のオヤシロさまへの悪口を梨花は知るすべはありません。鷹野と富竹が祟りに遭う理由は、これじゃないのが明らかです。
では奉納演舞の不参加が原因でしょうか?それもありえません。なぜなら、全編とおして(皆殺し編を除いて)一貫して綿流し祭にすら不参加を貫いている御方がいるではないですか。圭一の両親です。
彼らには、なんの厄災もふりかかってはいません。綿流し祭に参加しなかったことを、だれも知らなかったのでしょうか。というか、知られなかったら許されるんでしょうか。ずいぶんとユルい縄ですね。さらにいえば、祭具殿に侵入しても怒らないオヤシロさまは、儀式に参加しないことはお怒りになるんですか?どんな基準ですかそれは。
梨花サイドの認識はこうです。
祭具殿に侵入したことのもろもろ詳細は知らないから、圭一や詩音の行い(悪行)を知らないし、知ったところで『別にどうでもいい』。にもかかわらず、『鷹野と富竹はオヤシロさまの祟りだ』としか言えない。
「分からない」ではありません。
「祟りとしか言えない」です。
梨花は、彼らの死をどう捉えているのでしょうか?さらにつづくセリフを見てみます。
詩音「は!!あんたら古手家がそんなザマだから、あんたの両親は一昨年の祟りで死んじゃったんだよ。オヤシロさまに、仕える資格がないとお怒りを受けてね!!それであんたの父親を祟り殺したんだよ!!」
梨花「…オヤシロさまはそんなことしないのです。…お父さまは…オヤシロさまの祟りで死んだんじゃないのです…」
3年目に死んだ梨花パパは、オヤシロさまの祟りで死んだんじゃないと梨花は言っています。これも変ですね。梨花パパがオヤシロさまの祟りじゃないのなら、『オヤシロさまの祟り』という言葉を、一般論として使っているわけではないことが分かります。一般論ならば、3年目も5年目も、どちらもオヤシロさまの祟りですから。
3年目の事案において、入江機関が裏で動いたことを梨花は知るすべがありません。予想(推理、推測)はできたとしてもです。それでもオヤシロさまの祟りじゃないと言えるのであれば、そこに人為的な思惑か何かがあっただろうと予想できる事案は、梨花にとってはオヤシロさまの祟りではないということになるわけですね。
なら、なぜ5年目のこの事案についてはオヤシロさまの祟りとしか言えないとなるのでしょう?誰のどんな思惑が働いているのかが分からない、という思いはあるにせよ、どのカケラでも絶対に起きてしまうこの5年目の死は、何者かの強い意志がそこにあることが明らかです。まさか5年目の富竹と鷹野の死だけは、天災だとでも思っているなんてことがありえるんでしょうか?というか、梨花が『オヤシロさまの祟り』という言葉を使うとき、それが『天災』『天罰』を意味していたことなんてあったのでしょうか?
皆殺し編
レナ「何て悲しい話…。そして、何て馬鹿馬鹿しい話。誰もが沙都子ちゃんのことを何とも思ってないのに、関わると何か良くないことがあると思ってる!悪いのは誰なの?!誰でもないの?そう思わせる風土や世間体が悪いの?!」
圭一「誰も悪くない。……なのに、他の誰かを気にして、自分も許せない、…か。……俺たちのやっていることを黙認すると、“村の誰か”という居もしない存在に後ろ指を差されるかもしれないと怯えているから黙認できないと、そういうわけなんだな」
詩音「……私は、その居もしない“誰か”を、とりあえず『オヤシロさまの祟り』って呼んでます。だって、誰もがその居ない“誰か”に気遣ってる。でもその“誰か”は存在しない、人じゃない」
梨花「……オヤシロさまは沙都子を祟ったりしないのですよ…。むしろ可愛いとすら思っていますです。……そんなことで、オヤシロさまの名前を使わないであげてほしいのです…」
梨花は、そんなことでオヤシロさまの名前を使うなって言ってます。沙都子を祟ったりしないって言ってます。オヤシロさまの祟りって言葉は、梨花にとっては、住人が一般的に使う「オヤシロさまの祟りっていう神の力、天災、空気、土壌」ではなく、「オヤシロさま(羽入)が祟ること」そのものだと捉えていることが明らかです。
「オヤシロさまはそんなことしないのです」って言っているんですよ。これは、オヤシロさまの祟りと呼ばれる現象が、オヤシロさま主体に、オヤシロさまの能動的行為によって起こされるものであることを前提とした発言です。わけのわからない不可思議な現象をオヤシロさまの祟りと表現することは、梨花はしないのです。
梨花にとって
「オヤシロさまの祟りじゃない」
の意味が
「オヤシロさまはやってない」
ならば、
「オヤシロさまの祟りなのですよ、としか言えないのです」
の意味は
「オヤシロさまがやった、としか言えないのです」
になるんじゃないでしょうか。
これはどういうことですか?鷹野と富竹の死は、鷹野が犯人です。オヤシロさまは関係ありません。梨花はどういう捉え方をしているというのでしょうか…。
いよいよ物語の核心部分ですね。
次項に引き継ぎ、紡いでもらうこととしましょう。
ーひぐらし大学ミステリー研究会調査ファイル(了)
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