これが、ひぐらしの最後のレポートになります。
だから、絶対に前項までの記事を見た上で読み進めてね!
前項(暇潰しに怪死事件を振り返る)が前記事だよ。
せめてココ見てないと、これ以降の話が絶対イミフだよ。
賽殺し編では、舞台設定の大きな変更が2点あります。
ひとつは鷹野三四の不在。これは描写されているとおり、高野一二三博士の活躍があったため。高野氏が失意のうちに自殺なんてことがなかったため、鷹野三四が誕生するキッカケが生まれなかった物語といえるのでしょう。
高野氏は、研究ではなく現場医療を選んだ。それが功を奏したんでしょうね。人付き合いを否定し、孤独に机上の空論を積み重ねた本編とはちがい、ちゃんと雛見沢という現場にて、住人と接しながらの解明を選んだ。賽殺し編には雛見沢症候群という言葉が存在していませんから、高野氏は『雛見沢村にだけ存在する特殊な病気』という先入観をもつことはなかったということになるのでしょう。
だから、ちゃんと現代医療の範囲内で治療と診療を行っていた。それで雛見沢村に何も問題が起きていないのですから、ここでも雛見沢症候群という未知の病気の存在の否定が描かれています。
もうひとつの変更点は、オヤシロさまの生まれ変わりが、梨花ではなく梨花の母親であるという点。この変更が賽殺し編のすべてだといえます。
梨花ママがオヤシロさまの生まれ変わりであると、本編と何が変わってくるのか。まず、梨花が増長することがなくなります。梨花がオヤシロさまの生まれ変わりではないということになるので、村中からチヤホヤされるという扱いを受け、幼児期なら当然起きてしまっただろう驕り高ぶり、天狗状態になった本編のようにはならなかった、と考えられます。
梨花ママは、普通の子を普通に育てることができた。本編とちがい、梨花ママは梨花を虐待することがなかった、と考えられるのです。本編のように、梨花が事件を起こさなければならなかったような、精神的に追い詰められる家庭環境に、古手家はならなかった。だから梨花は、オヤシロさまの祟り事件を起こすキッカケを生まずに済んだ。
梨花が、この昭和58年の時点で何も企てていない。
梨花が犯人でない。
それが賽殺し編なのです。
よって、ダム計画をなんとしても食い止めなければならない、とする梨花の思惑も発生することはありません。村人にカートを盛って、興奮状態にして話し合いにさせないなんて策略が必要ないのです。そのため賽殺し編では、住人と役所とで冷静に話し合いが行われた。だから、ダム計画が順調に進んでいるのです。
沙都子との人間関係がちがうのもこの影響です。本編のように沙都子と同じ家庭環境ではないため、沙都子に共鳴することがない、沙都子と友達になりたいという想いが生まれないのです。だから、沙都子と友達ではない。
さらに、沙都子や沙都子の両親に対して薬物を盛るという暗躍も生まれることはありません。だから沙都子の家庭には、両親と和解させまいとする梨花の思惑が作用しない。時と共にわだかまりが解けているのです。それにより、あのわけわからん敬語を使う沙都子が誕生しません。
梨花も猫をかぶる必要がありません。梨花が本編で猫をかぶるキッカケとなったのは、DVを回避するために羽入を真似てママの機嫌を損ねないようにするため。そのDVがないのですから、梨花はいい子ちゃんを演じる必要がなかった。だからこそのあの梨花の性格です。
もっといえば、DVがないので人格を乖離させる必要がない、二重人格になっていないのです。梨花は、羽入という別人格を生み出す必要がなかった。だから賽殺し編に羽入がいなかったのです。
また、オヤシロさまの生まれ変わりがママであるという事実を、村のだれも知らないそうです。ということは、オヤシロさまの生まれ変わりの伝承は、古手家の秘密だったということになります。ですが本編では、村中が把握しています。この差分が示すこととは、梨花は本編では、自分がオヤシロさまの生まれ変わりであることを公言したということだと思われます。
自分が特別な存在であることを自慢したかったから。梨花がオヤシロさまの生まれ変わりであることは、古手の巻物に証拠としてしっかり書かれていた。それをも梨花はみんなに見せた。
ホラ、見て見て!
私はオヤシロさまの生まれ変わりなのよ!
嘘じゃなかったでしょ!
これで村中が把握することとなった。本編の梨花無双は、ここがスタートだった。
梨花パパは、多分これにキレた。だから、祭具殿に入って巻物を持ち出して公共の場に晒すなんてことが、二度とないように躾けなければと思った。梨花ママも、これにキレた。古手の秘密を、絶対誰にも言ってはならないとあれだけ言ったのに、なんて罰当たりな子だろう、と思った。
本編では、これが虐待の始まりになったのでしょう。賽殺し編は、そこを経なくて済んだのです。
そんな平和が続く中。梨花は次第に追い詰められていきました。仲の良かった友人たちが転校し、いじめが始まってしまっていたのです。
ふとしたことで、本編の記憶を蘇らせた梨花。
それが示すものは、現実逃避に他なりません。
こんな現実受け入れられない。
こんなの本当の自分じゃない。
本当の自分は、仲間が沢山いて、仲間の信頼も厚くて、チヤホヤされてて、いじめなんか受けるわけもなくって、どんな困難にも立ち向かえて、大人たちも手玉にとれて、あのムカつく沙都子ですら敬ってくれるような、そんな人間であるはずなんだ。
ボールが頭に当たり、健忘症が発症した。それまでの記憶が一時的に消失し、現実逃避で描いた理想の自分像が、その自分になるまでの妄想ストーリーを含め、すっと頭の中に記憶として蘇った。
それが、賽殺し編の始まり。
わずかに、羽入と交信することが可能になった梨花。それが示すことは、梨花の人格が乖離し始めていることを意味しています。辛くなってきた周囲の環境、受け止めきれない現実。その記憶を別人格に渡して忘れることで、壊れそうな心を守るシステムが発動し始めていたのです。
そうして辿り着いた、世界の分岐点。羽入から、母親を殺すか殺さないかという選択肢を提示されました。
ママ「それでね、お母さんが子供の頃はすっごく村のお年寄りに大事にしてもらったの。それはね、お母さんがオヤシロさまの生まれ変わりって、信じられてたからなのよ」
梨花「…オヤシロさまの、…生まれ変わりって…?」
ママ「梨花には話したことがなかったわね。古手家には古い言い伝えがあってね。第一子が8代続けて女の子だったら、その子はオヤシロさまの生まれ変わりであるって言い伝えがあるの。それがね、お母さんなの」
梨花「…わ、私じゃなくて?」
ママ「梨花も女の子で第1子だけど9人目に当たるわね。うちは女系なのかしら。お母さんが8人目。オヤシロさまの生まれ変わりなの。…でも、これは内緒よ?誰にも言ってはいけないことになってるの。だからこのことを知っているのは死んだおばあちゃんと私と梨花だけ。お母さんとあなたとの秘密よ、ね?」
おばあちゃんが死んでる今、お母さんがオヤシロさまの生まれ変わりであることは、オ母サンシカ知ラナイ。
…お母さんなのだ。お母さんが、カケラを宿しているのだ…。それが何を意味するのか。……できることなら、私は永久に思い出したくはなかった………。
梨花が見つけたカケラ所有者はママだった。それが判明する上記の文章から、母を殺す意味が読み取れます。母がオヤシロさまの生まれ変わりであることは、母しか知らない。
羽入「…その事実を知るのがお母さんだけで幸いでした。もし他にも大勢知る人がいたなら、梨花はその全員を殺さなければならなかった」
梨花が殺さなければならないのは、母というより、「母がオヤシロさまの生まれ変わりであることを認識している存在」だと羽入は言っているわけですね。つまりママを殺すことでどうなるかといえば、母がオヤシロさまの生まれ変わりであったことを知る者がこの世に存在しなくなる。梨花は、オヤシロさまの生まれ変わりを乗っ取れる、ということを示しているのです。
山本「具合が悪いところがないなら、学校にもう戻ってもいいよ。もうすぐ午後の診療が始まっちゃうから送ってあげられないけど、大丈夫かな?ひとりで学校まで行けるかい?」
梨花「…みー」
山本「みーじゃハイかイイエかわかんないよ?どっちだい?」
梨花「…は、…はい。大丈夫です、ひとりで学校に戻れますです」
梨花はこの世界では、特別な存在として扱われていません。本編において、梨花が思うがままに策略を展開させていけたのは、自分が国宝級の扱いを受ける立場の人間であること、周りがかってに気を利かせてくれる環境であることを最大限に利用したからです。
それが、この世界では通用しない。だから、いじめにもあってしまう。本編なら、雛見沢で梨花がいじめられることは、天地がひっくり返ってもありえません。天皇陛下の娘をいじめるようなもんです。自殺行為です。お魎(雛見沢連合)が、鷹野(入江機関)が、黙っちゃいません。
そのスペシャルな権限を、取り戻すことができる。
その権限を取り戻すことでできること。それは現状打開に他なりません。いじめられる人間関係にあった現状。いじめてきた奴らが、いじめられる方にも原因があるなんて言われてしまう現状。それを棚に上げられ、仲良くする『努力をしよう』なんて、一緒に『がんばろう』なんて言われてしまう現状。それをすべてひっくり返せる。富田くんや岡村くんがいたときのような、お姫様状態に戻せるのです。
母を消した後、証拠を改ざんし、本編のように何らかの方法で自分こそがオヤシロさまの生まれ変わりであることを村中に分からせる。全住民は、自分を蔑ろにしてはならない存在であることを理解することになる。
沙都子は私に敵意を向けてきたね?身の程知らずが。消してやろうか。魅音は生意気に私に説教してきたね?お魎に言いつけたらどうなるかしら。爪いっとく?礼奈は私に同情を向けてきたね?虫唾が走る。自分の仲間くらい自分で見つけるわ。友達になってあげるなんて、あんたはどれだけ偉いつもり?
こうして、梨花は周りの環境を一変させることが可能になる。これより先の未来で、好きなように梨花帝国を築いていくことができるでしょう。周りは手のひらクルックルさせるでしょう。それも見ていて爽快にちがいない。
母を殺すことができたなら、元の世界が戻る。それが、母を殺す意味なのです。
母を殺さない選択肢もあります。それは、今までと何も変わらないことを選ぶということ。梨花自身のことではなく、周囲のことです。
周囲は何も変わらない。だから現状を打開するためには、より良い未来のためには、自分が変わっていくしかない。自分が対応するしかない。自分が周りに合わせるしかない。自分が妥協するしかない。礼奈たちに言われたように。
いじめてきた魅音たちと仲良く過ごすこともできる。その提案に乗ることは、できないことではない。考えようによってはそれほど悪くはないかもしれない。
本当の自分に、本当の気持ちに、嘘を付いてでも。
さらに、母をどうするか、考える時間はそれほど残されていませんでした。期限は明日の日没。明日の夕方にイベントがひとつありましたね。医師山本の来訪です。
ママ「それで、山本先生が市内の大きな病院に相談してくれてるらしいの。…先生が仰るには、脳よりも心の方かもしれないって…。立派な先生がいらっしゃる病院だそうなの」
パパ「……山本先生は明日の何時にいらっしゃるんだ?」
ママ「夕方って言ってたけど、時間は聞かなかったわ。できたらお父さんもいてほしいって」
パパ「…ん。夕方は集会所にいるが、山本先生がいらっしゃったら呼んでくれ」
山本が来て、病院に行くことを促される。脳よりも、心の心配をされていた。となれば、行先は精神病院。梨花は精神病院に通院した、という記録が残るということになります。
それがちょうど刻限と一致している。意味するところのひとつは、母殺しの容疑者として疑われるとっかかりになる『精神病院への通院履歴』という記録を作っちゃってからでは、母殺しを実行できないでしょ、ということです。
ママを殺す際には、どんな形になるにせよ、自分が犯人であることを勘付かれないような細工を施さなければなりません。まあ事故に見せかけるのが想像しやすいところでしょう。警察には、それを事故で処理してもらわねばなりません。精神病院への通院履歴は、事故ではないかもしれないという警察の疑いを奮起させてしまう可能性がある。この上ないネックとなってしまうのです。
周りの人間関係の作り方が、より一層困難になるのも見えています。魅音、礼奈、悟史、沙都子の、自分への接し方がどうなるか。その後、転校後に訪れる新たな友達作りがどうなるか。そのすべてに、少なくない影響を及ぼすことになるでしょう。
梨花ちゃんて、精神病院に通ってるんだって…。なんかちょっと頭おかしい子だとは思ってたんだよね〜…。でもなんか可愛そうかも…。
このような陰口がとびかう学校生活。これが積極的に選択肢を選ばなかった、梨花の末路。その後ママを殺そうものなら、もう手遅れもいいところです。噂が噂を呼び、確実に破滅する。ほぼ確実に刑務所行きでしょう。
さらにもうひとつ。
梨花はママを殺した後、自分がオヤシロさまの生まれ変わりであることを宣言することになります。古手の巻物にはママがオヤシロさまの生まれ変わりであるという真実が書かれていますから、改ざんしなくてはなりません(改ざんの方法は多分、『八』を『九』に変えればいいんじゃないでしょうか?なんかダイイングメッセージの改ざんぽいですねw)。それを見せることで、周りに信用させなければならない。精神病院の通院履歴は、ここでもネックになってしまうのです。
梨花ちゃんは妄言を言っているのではないか。だとしたらあの巻物はなんなのか。おや、よく見たら改ざんの跡があるようだぞ。やっぱり嘘か。梨花ちゃんが精神異常者というのは本当みたいだ。
こんな展開になってしまうのも目に見えていますね。やはり破綻です。
山本の提案をとりあえず躱すやり方はあります。それは、母を殺さないという選択肢を積極的に選んだ際に、梨花が取るべき行動となるのでしょう。
「ちょっと、悪ふざけをしただけなのです。友達と喧嘩しちゃってむしゃくしゃしてたから、山本をからかっただけなのですよ」
こんなカンジで、山本をとりあえず退ければいい。これで学校生活に支障が出なくなります。しかし入院することになろうがなるまいが、とりあえず梨花が山本に話した内容の詳細を、山本は詳しく両親に話すでしょう。
山本「…でも、それが人だったら、君はどうするんだい。まさか、本当に殺しちゃう気なのかね?」
梨花「そういう風に聞かれると返答に困るけど…。……それしか元の世界に戻る方法がないなら、私は躊躇しないかもしれない」
山本「なるほどなるほど。でもちょっと待ちなさい。君にとってこの世界は夢の中なのかもしれないが、わしにとってはここは自分の世界でね。たとえ誰であっても殺されちゃ困る」
梨花「……理屈はわかってるし、私も人殺しなんてせずに帰れるなら、それに越したことはないわ」
梨花は山本に、人を殺してでも元の世界に帰りたいって言っちゃってます。これを両親が、パパが、把握することになってしまうのです。その後にママが亡くなることになったならば、警察はごまかせても、パパは怪しむかもしれない。パパまで消さなきゃならなくなる。足がつく危険性がもっと増す。破綻が見えています。
ですから、山本来訪のイベントフラグが立った時点で、ママ殺しは難しくなってしまうのです。だから、ここがリミットとなる。梨花がママを殺すのなら、まだ怪しまれていないこの段階を逃してはならないのです。
母を殺すという選択をした場合は、梨花はどう動くか。
山本が来るのが夕方以降。そのとき、パパはいない。この状況下で、母を失踪させる。入院どころの話ではなくなる。後日、遺体が見つかる。
さすがに警察でも、精神病院に行くまでになってない子供の妄言と事件とを結びつけることは難しいでしょう。梨花は逃げ切れる公算が高い。パパも、山本の話がどうでもよくなるし、それどころではなくなる。
山本本人は疑うかもしれませんね。でも危険性は、それほど高くありません。なぜなら梨花は直後に、自分がオヤシロさまの生まれ変わりであることを証明するからです。その後は、梨花を疑うこと、梨花を敵に回すことすなわち、村の住人を敵に回すことに等しくなります。山本がいくら疑っても、その網は梨花に届く可能性は薄いのです。
母を殺すか、否か。
その究極の選択を前に、梨花は何を選んだか。
答えは書かれています。
羽入「……梨花が、次に命を落とす時。…僕は、その運命を受け入れようと思いますです」
梨花「…そうね。私もそれでいいんじゃないかと思うわ。…でも、あんたはそれでいいの?…私がいないと寂しくなるって、かつてあれだけ駄々をこねていたのに」
羽入「…もう大丈夫ですよ。新しい友人ができましたのですから」
梨花「へぇ?誰よ、紹介してよ」
羽入「………教えませんのです。あぅあぅ」
羽入に新しい友人ができた。該当するのは、賽殺し編の梨花以外にありません。羽入は、賽殺し編の梨花に友人として現れることができるようになった。羽入は、賽殺し編の世界から消え去らなかった。これは、梨花が賽殺し編でも解離性同一性障害を本格的に発症したことを意味しています。
つまり梨花は、母を殺す選択をしたということなのです。
これが、羽入が梨花に押した、烙印。
消せない傷。
思い出させなきゃならないと判断した過去。
梨花、あなたは、家庭環境がどうであろうと、どんな世界を過ごそうと、自分の幸せのために、母親を殺せるのですよ、と。
梨花「…そういうことか。…ということは、…私はつまり、『古手梨花』、…なのね?」
羽入「梨花がそう思うなら、そうなのですよ」
世界がちがっても、母親が梨花に虐待しなかったとしても、それでも梨花は母を殺しうる。母を殺した本編は、梨花がそう考えても仕方のなかった環境だったのかもしれないけれど、そんなのは理由の一端でしかなかったんだよと。本質的には、あなた自身の考え方そのものに起因することだったんだよ、と。
…お母さんなのだ。お母さんが、カケラを宿しているのだ…。それが何を意味するのか。……できることなら、私は永久に思い出したくはなかった………。
梨花がカケラの場所を見つけたときのセリフですが、『思い出したくなかった』という日本語は、ちょっと違和感ありますよね。だって、カケラをこの世界から抹消すれば解決するという考えは、別に忘れたことなんてないのですから、忘れていない事柄を『思い出す』は、文脈に合わないからです。『忘れてしまいたかった』ならまだわかるんですけど。
『お母さんがカケラを宿すことが何を意味するのか』が、思い出したくなかったことだと言っています。つまり『お母さんを殺せば、私は幸せな世界に戻れる』が、思い出したくなかったことになります。
それが示すものはただひとつ。
梨花は、『お母さんを殺せば、私は幸せになれる』と思ったことが、これ以前にもあったということ。そしてそれを忘れていたということ。それが本編、数年前の梨花のマインドだったということです。
それを、永久に忘れたままでいたかったのに、思い出してしまった。
思い出させられてしまった。
この一文を引き出すことこそが、賽殺し編の羽入の最大の目的だったのです。
罪がない白い世界、賽殺し編。
罪に塗れながら、それでもなお美しい世界、本編。
梨花の望みは、白いままで、つまり犯罪に手を染めずに手にできるものなのか。黒くなってでも、つまり犯罪に手を染めてでも手にしてみせるという意志の先にあるものなのか。
梨花は、後者を選ぶ。
それが、梨花のメンタリティ。
それが、古手梨花なのだと。
羽入は最後の最後に、梨花に思い出させたのですね。
(了)
コメントをお書きください
名無しの権兵衛 (火曜日, 02 6月 2020 12:56)
以下の本文の文章って矛盾しませんか?
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ママ「それでね、お母さんが子供の頃はすっごく村のお年寄りに大事にしてもらったの。それはね、お母さんがオヤシロさまの生まれ変わりって、信じられてたからなのよ」
ママ「梨花も女の子で第1子だけど9人目に当たるわね。うちは女系なのかしら。お母さんが8人目。オヤシロさまの生まれ変わりなの。…でも、これは内緒よ?誰にも言ってはいけないことになってるの。だからこのことを知っているのは死んだおばあちゃんと私と梨花だけ。お母さんとあなたとの秘密よ、ね?」
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・古手母は村のお年寄りに大事にしてもらった
・理由はおやしろさまの生まれ変わりだと信じられていたから
・つまりその当時のお年寄り達には古手母=おやしろさまの生まれ変わりという認識があった
・なのに今は「このことを知っているのは死んだおばあちゃんと私と梨花だけ。」
これって矛盾してないでしょうか?
知ってたお年寄りは全員死んで、古手母=おやしろさまの生まれ変わりという認識が子に共有されなかったってことなんですかね。
ただ、ちょっと無理がある気がします。
gultonhreabjencehwev (土曜日, 06 6月 2020 11:57)
コメントありがとうございます!
矛盾してますね。
私は、村のお年寄りは伝承を知らないってことだと思ってます。言い伝え(都市伝説)と伝承って別物じゃないですか。たまたまそれが同じだっただけで。
you (日曜日, 05 7月 2020 03:55)
コメント失礼致します。
賽殺し編だけは鬼隠し〜祭囃し編とは異なるパラレルワールド上の話という認識でよろしいのでしょうか。
gultonhreabjencehwev (日曜日, 05 7月 2020 17:55)
コメントありがとうございます!
そうですね、そう思います!
ぽん (金曜日, 13 11月 2020 00:24)
賽殺し編、アニメの方を見ての感想なので、後で改めて原作を読もうと思っておりますが、気になったのは、レナの「勝ち取った現実」の解釈が、梨花ちゃまの目覚める前と目覚めたあとだと180度変わっているところでした。
どちらも本当にレナが言っていたのか疑わしいですよね(梨花フィルターを通している)。とくに目覚めたあとの方が……
gultonhreabjencehwev (金曜日, 13 11月 2020 22:39)
コメントありがとうございます!
フィルターを通しているという考え方が好きです!ひぐらしフィルターは現実を捻じ曲げる力があるので、正しい姿を捉えるのにはフィルターを外す必要があるんですね。賽殺しのレナ周りでそのあたりを追ってみるのはとても面白そうです!