皆殺し編・冒頭フレデリカ
そうよ。共通すればするほど、それは強い意志を持って行われていることになる。
カケラに共通する現象は、強い意志の表れ。ならば、絶対に避けては通れない「ひぐらし最大の矛盾」についてふれないわけにはいきません。
梨花がカケラで体験した、両親の死を含む、どうしようもなかった5年間にも及ぶ『オヤシロさまの祟り』の数々の事件。梨花が5年も前に予言したとおりの日付で、予言したとおりの人が死ぬ。これはまさに、カケラに共通する現象。強い意志がそこに存在することの確固たる証。
祭囃し編
入江「雛見沢村連続怪死事件。……最初の2年は偶然が重なっただけでした。」
なのに、その真実が、偶然の重なり合い ???
1年目。
現場監督がバラバラにされて殺されるのは、すべてのカケラに共通する現象なのに、たまたま?
2年目。
沙都子が両親を殺すのが2年目の祟りの日になるのも、たまたまだっていうの?沙都子は、2年目の祟りの日を狙って殺害したわけではないのに、なぜそれがその日に起こるの?
3年目。
鷹野が梨花の両親をオヤシロさまの祟りに見せかけて拉致したのは、たまたまその場で思いついたことですよ?
鷹野がそうしなければならなかったキッカケは、梨花ママが癇癪を起こして入江機関が危機にさらされたからでしたね。ママが癇癪を起こさなければ、鷹野だってわざわざ梨花ママを拉致しようなんて最初から考えてたわけじゃないのに、なんでそれが「絶対に起こること」になってしまうの?
これもたまたま?
癇癪を起こすことが確実なのであれば、じゃあそれが梨花の頭蓋に穴を開ける実験を知らされたときに起こらなかったのはなぜ?幼い娘の頭蓋骨に穴を開けられるんですよ?失敗したらどうなるんですか?これのほうが、よっぽど梨花ママにとっては耐えがたいことだと思います。そのときにあのヒステリーを起こしていれば、梨花ママは2年目のよりもさらに前に殺されていてもまったくおかしくありません。
どんな視点で見ようとも。
どんな解釈をしようとも。
この矛盾は、偶然を前提にする限り、論理が破綻します。
雛見沢村連続怪死事件は、説明がいまだに省かれている、強い意志を組み込まなくてはならないのです。
古手梨花 ループの実態 で梨花の先読みの能力についてふれました。
梨花の先読みは、人の心を読んで、その意志の先にあるものを限定するもの。人の心理の1歩も2歩も先を読み、自らの行いがどう他者に影響し、どういう結末になるかを理解して振る舞っていることが、部活の描写で明白です。
その先読みの力が見通した、昭和54年から5年間に渡って起こるであろう現象を赤坂に伝えました。
ですから、梨花が見通した「もう決まっていることなのですよ」とされる5年間の殺人事件は、人の強い意志の行き着く先を読んだ結果です。その日にたまたま起こる偶然は、カケラによって分散されるのです。部活の種目のように。2年目に沙都子が両親を殺すのがたまたまならば、カケラによって分散されるはずです。にもかかわらず絶対に起こってしまうことなのだとしたら、それは「2年後の6月20日に雨が降ることは、もう決まっていることなのですよ」と言っているのと何も変わりません。ありえないのです。
ならば梨花の予言は何なのでしょうか。誰の、何の、意志を読み取ったゆえの、未来予知だというのでしょう。
祭囃し編における、オヤシロさまについての過去の伝承。
祭囃し編
それら掟を守って下されば、村は鬼の災禍から解放されるでしょう。
良かろう、その掟を守ろうぞ。…しかし、村はすでに多くの血を流してしまった。人々の怒りや罪、穢れが祓えない。人の世では、罪は命で償うのが唯一の掟なのだ。
なるほど、それがこの世界の抗えぬ掟であり、あなた方を悩ませる掟でもあるならば、私は共存の引き換えに、人が罪を押し付けあわぬ世界を授けましょう。人より生まれ出でる罪と穢れを、全て私に負わせなさい。そして私の存在を祓いなさい。全ての罪は人に在らず。我が身に負わせれば、人同士が罪を押し付けあうことはありません。
オヤシロさまは、全ての罪を背負い、罪から人を解放し、赦します。これは、その人の犯した罪を神様のせいにして(天災に責任転嫁して)、そもそも罪を犯してなんかないってことに改変できるということを意味しています。それがオヤシロさまの役割。
オヤシロさまは、羽入です。
羽入の誕生で示しました。
羽入とは、梨花の別人格です。
羽入は、犯罪を "無かったこと" にして、人の心を解放する力を持っているということになります。
それはまさに、解離性障害の症状における、自分以外の誰かの役割と酷似していることが伺えます。解離性障害とは、自分以外の別人を自分の内側に生み出し、それに堪え難い状況の原因を転嫁することで、自分の心をストレスから開放するシステムです。
ですから、羽入のオヤシロさまとしての役割は、梨花に直接作用した結果であることが明らかです。解離性障害の特性は、「罪から人を解放」する力を持つオヤシロさまと見事にリンクした。だから、梨花が生み出した自分でない誰かに、羽入(オヤシロさま)という人格を植え付けることができた。
その力の恩恵をすでに受けている梨花。
ならば梨花は、自分の罪を羽入に押し付けて、忘れて、無かったことにするという思考回路を、理屈を、構築できてしまっていることになります。
二重人格の扱われ方で示しました。祭囃し編の描写は、羽入という梨花の裏の人格が表出してきたことを示す物語であると。
裏の人格の表出とは、ひぐらしにおいては凶行のサインを示しています。圭一然り、沙都子然り、悟史然り、etc…。凶暴で凶悪な裏の人格が疑心暗鬼によって育ち、それが表に出てきてしまったときに始まるのが、ひぐらしの惨劇です。でもそれは、梨花にだけ当てはまりません。
羽入ちゃんが表に出てきてしまった祭囃し編では、惨劇が描かれていません。羽入ちゃんの行いは、凶行どころか真逆の善行です。鷹野という敵を倒すため、みんなに協力を仰いだ。最終的に倒すことができた鷹野も、殺すどころか赦した。
羽入という裏の人格が表に出てきてしまったのに、凶行が行われない、これは、二重人格の前提条件が逆だからなのではないでしょうか。
圭一たちは、表の普段の人格が善良だからこそ、その裏に溜まるもうひとつの人格が悪心の塊、悪の権化になるのです。その悪心が育ち、ぺたぺたと足跡を聞かせるほどに表に出てこようとする流れになってしまったときに、凶行が始まる。
梨花の裏の人格である羽入は、善良です。ならば、梨花本来の表の人格こそが、すでに悪心の塊、圭一たちでいうところの、すでに凶行を行う精神状態であることを示しているのではないでしょうか。だからこそ、その裏が善と定義される。
祭囃し編とは、敵が鷹野だと判明したときに、梨花の表の人格である黒梨花が鷹野を標的にし、惨劇を起こしてしまうのを止めるために、裏である善良な羽入が出てきた物語、ということなのではないでしょうか。
祭囃し編
梨花「…………そういえばそうね。…あんた、傍観者をやめたのね」
これまでは、羽入は傍観者だった。
傍観者というのは、梨花の行動を見てるだけだった、制御することはしなかったということ。
目明し編の詩音の凶行を、牢の中から見ていることしかできなかった魅音と同じだったということ。
それはもうやめたと、そして表出することで梨花の体を制御しだしたから、ハッピーエンドに導けたということ。
ならば、祭囃し編以前のそれまでの梨花の行動は、羽入という良心の制御が効いていないものだったということ。
それはきっと、こんな物語。
昭和5X年。
1年目の祟りの何年か前。
沙都子と友だちになりたい。
最初は、ただそれだけだったんだろうと思う。
境遇が似ている彼女と仲良くなりたい。両親からDVを受けている、両親とうまくやっていけていない、両親を好きになれない、そんな彼女を見つけたときは、自分とおんなじだと思った。彼女となら悩みを分かち合うことができる仲間になれると思った。
幼稚園でも浮いていた梨花。友達作りが下手だったのは、賽殺し編のとおり。そんな中で出会えた同年代の沙都子という存在は、生きづらいこの世界で共に生きていける同士だと、自分を闇から救ってくれる光だと思った。
あの事案が発生するまでは。
それは、沙都子が祭具殿に忍び込んで荒らした失態で、梨花が父親から折檻を受けてしまったこと。
祟殺し編
それからだ。……… ”世界” がおかしくなったのは。
沙都子はその事件以降、世界がおかしくなったと実感した。それは、両親の事件を含むオヤシロさまの祟りの出発点が、この瞬間からだったと沙都子が感じているということ。
それが始まりだった。
梨花は、沙都子に裏切られたと思った。両親からの暴力がどれだけ辛いものかを十分わかっているくせに、それを私に仕向けてきた。
だから梨花は、沙都子に同じ仕返しをしたかった。それは、沙都子には覚えのない罪を両親から責められて叱られるというシチュエーションを、そのまま返す仕返し。沙都子が、両親に怒られている姿を見ること、そしてそれで意気消沈する沙都子を見ることで、溜飲を下げたかった。
そのための方法、メソッドを、梨花はすでに持っていたから…。
その仕返しは、報復から独占欲に変わるキッカケとなった。
なぜなら、沙都子の本来の性格は賽殺し編のアレ。それが、梨花の仕返しによる両親からの暴力が沙都子にあびせられるたびに、「ですのよ」「ますわよ」口調の沙都子に変化していったから。
沙都子の変化の真実を知っているのは自分だけ。自分が沙都子を可愛く変えたという自負心が芽生えた。そして、もっと可愛くするために、仕返しを継続した。次第に、沙都子が心を開くのが自分だけになっていくのを感じた。
それは、欲しいものを手に入れるための方法を会得した瞬間でもあった。なんだ。望むものを得るなんて、カンタンだったんだ。最初からこうすればよかったんだと。自分には沙都子しかいないように。沙都子、あなたにも私しか必要ないのよ。
自分だけの沙都子だという独占欲を抑えられなくなっていった。
もはや、梨花にとって沙都子は唯一の居場所になっていた。日々の虐待。それを癒やしてくれるのは、同じ境遇の沙都子だけ。DVがあった日には、必ず沙都子の家でもDVが起こるように仕向けた。そうして沙都子と気持ちを共有することだけが、梨花には快感、生きがいだった。
梨花「居場所があればいいのです。それがある場所を、家族と言ったり、仲間と言ったり、呼び方が少し変わるだけのことなのですよ」
梨花にとって、居場所は家族ではなかった。
そして、その生活はそろそろ限界に来ていた。
虐待の苦痛は、もう耐えきれないところまで来ていた。
両親が邪魔だった。
排除する方法は、もうわかっていた。
欲しいものを手に入れる方法がわかったのと同時に、それの応用が、逆にいらないものを排除する方法であることがわかってしまったから。
自分の居場所はもう見つけた。
沙都子、あなただって同じでしょう?
だから生活相談所に嘘のエピソードを作ってまで、両親の元から離れようとしたのでしょう?
私だって同じよ。
だから、私がその願いを叶えてあげる。
祭囃し編
自らを生んだ母を、忌み、葬った一族の呪いが、…八代かけて贖われ、無限とも思えた時間にかけられた呪いを解く。そして、……古手家が絶えようという最後の代になって、その末裔の私と対面したのだ。
古手の血は、母に人の罪すべてを背負わせ葬った呪いの歴史。その始まりと、終わりが、出会う…。
自分にとって最も邪魔な両親を消すことで、辛い虐待から開放され、自由を手に入れられる。同時に沙都子の両親も消すことで、大好きな沙都子とずっと一緒にいられる。もっと独占できる。
それこそが自分の求める幸せだと、信じた。幸せになるための最大限の努力だと、盲目的に信じた。間宮リナを排除することが、幸せになるための最大限の努力だと盲信した竜宮レナのように。
だから梨花は、それを実現するための計画を立てた。
自らを生んだ母を忌み嫌い、葬った古手一族の呪いになぞらえて。
それこそがオヤシロさまの祟りの正体。
Frederica Bernkastel ー 詩
誰が犯人かって?
それを探す物語に決まってるでしょ?
誰が犯人かって?
そもそも「何の」犯人かわかってる?
誰が犯人なの?
私をこれから殺す犯人は誰?!
そもそも「何の」犯人かわかってる?
わかっています。
すべての伏線が、その人物を指し示しています。
雛見沢村連続怪死事件。
通称『オヤシロさまの祟り』。
犯人は、古手梨花です。
ーひぐらし大学心理学部臨床心理学大図鑑(了)
コメントをお書きください
雛見沢出身 (日曜日, 17 4月 2022 22:14)
古手家は生贄なのに
無理やり追い詰めて梨花を犯人に仕立て上げる側の意見ですか
gultonhreabjencehwev (月曜日, 18 4月 2022 09:10)
古手家は生贄?
仕立て上げる「側」?
これらのピントの外れた発言は、おそらく業卒のニュアンスからくるものと推測しましたが合ってますか?私が詰めた理はすべて旧作にあります。理を構築していない新作の彼ら(無理やり追い詰めたひとたち)とは天地の差です。
一言でいうと、「一緒にしないで」