暇潰しに怪死事件を振り返る

 

 

> TOP

 

 

前項(すべての伏線が示すその人物の闇と狂気)を踏まえた話です。

せめてココ見てないと、これ以降の話がイミフだと思うので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

犯人がわかった上で、真っ先に振り返るべきカケラは暇潰し編です。

 

 

ちょっと番外編のような立ち位置の暇潰し編。全8話の中で、その箸休め的な雰囲気と時間軸がそれまでとちがうという特殊性から比較的軽視されがちなこの暇潰し編では、その読者の思考停止を誘う空気の影に隠れて、実はとんでもないことをやっています。

 

 

 

 

 

梨花が赤坂に、祟りの予言を伝えるシーン。

 

これはミステリーでいうところの、

『犯行計画と犯行動機の告白』

です。

 

 

 

 

 

通常の推理小説であれば、最終盤になされるはずのファクターを、物語の中盤に堂々ともってきているのです。梨花の精査を終えたあとに見直せば、明らかな犯人の独白でしかないのに、そのことをまったく感じさせずに物語に紛れ込ませることに成功していますね。

 

なんという試み。驚嘆します。

 

 

暇潰し編

梨花「……私は幸せに生きたい。…望みはそれだけ。大好きな友人たちに囲まれて、楽しく日々を過ごしたい。…それだけなの。それ以上の何も望んでいないの」

 

 

 

これですね。これが梨花の犯行動機。彼女は、幸せに生きたかったから、幸せに生きれない現状を打開するために、このような事件を起こしたのです。ここで言う、大好きな友人たちっていうのは、沙都子と羽入の2人です。魅音やレナや圭一のことは示していません。沙都子と羽入に囲まれて楽しく日々を過ごしたい。それはまさに昭和58年の梨花の生活環境を示しています。これを手にするために、5年という歳月をかけたのですね。

 

 

 

梨花「全ての死が予定調和なら。……最後の死もまた予定の内なのでしょうか。…でも、ならばこれは一体、誰の予定なの…?」 

 

 

最後の死、つまり梨花自身が死ぬことは、もちろん彼女の計画に入っていません。最後の死を除き、全ての死は梨花にとって予定調和です。ならば最後の死も予定調和で、決まっていることなのか。ならばそれは誰が決めたんだ。私は決めてないぞ。

 

こういうことを言いたいシーンです。

 

天罰だって言いたいのと。私はただ、楽しく日々を過ごしたいってそれだけの些細な願いを叶えるために事件を起こすつもりだけど、それの何がダメだと言うのと。なんでいっつも死んじゃうのと。誰か助けてよと。

 

 

 

 

この村は、人殺しや、人の命を何とも思わない奴らでいっぱいだ。昭和57年までの死は、この村の誰かの仕業と思っていい。起こる全ての死は、この村を支配する奴らの都合による予定と思っていい。でも、それでは昭和58年が説明できないのだ。最後の死は、奴らの都合であるはずがないのだ。

奴らは人の命など、何とも思わない。奴らは目的を達する為の障害は、何であれ取り除く。そして奴らの目的は、最後の死を否定しているのだ。だから、最後の死だけは、奴らと無関係なのだ。

でも、最後の死は必ず、ほとんど、おそらく、例外なく、起こる。多分、きっと、おそらく。最後の死は、ハンカチか何かで口を塞がれ、意識が遠くなって。二度と意識を取り戻せないという慈悲深い形で行われる。これは一体、誰の予定……?

 

 

 

 

 

ただ、上記の梨花ちゃんのこの思考は、自身の犯行を否定しています。梨花ちゃんは 57年までの事件を、「この村を支配する奴ら」の仕業だと思っていることになるからです。これはどういうことかというと、上記の思考の記述が梨花の思考を描写したものであるという思い込み、思考ロックを解除すればいいかと思います。

 

暇潰し編において、梨花の心情を描写するシーンは、ここを除いてただのひとつも存在しません。なのに、ここだけいきなり梨花視点の思考が地の文で語られる不自然さを、そのまま受け取る必要はないのです。

 

 

 

 

 

この思い込み、ミスリードを解消するために、ひぐらしが大石と赤坂による書籍である、というオチを、暇潰し編のラストにわざわざ伏線として描写したのです。

 

書籍化したからなに?ってなりますよね。これは、「書籍化されたものを我々は見せられている」というギミックを間に挟むことによって、地の文の信用性、真実性が保証されないことを示しているのです。

 

もし書籍化なんてオチでなかったのなら、ひぐらしの地の文は神の視点で語られていることになるのですから、そこに嘘が混じっていたら反則です。でも書籍ならば、その地の文は「作者がそう思っていること」が描かれている可能性があるという解釈の余地が生まれるのです。

 

 

あとは、その真偽の精査です。地の文でなんでもかんでも嘘八百がつけたなら、ミステリになりません。ほとんどすべては真実を描写していることはまちがいない。それは、赤坂と大石が『その情報を得られる立ち位置から説明がつけられる地の文であれば、それは真実』という精査の仕方で問題ないはずです。

例えば、暇潰し編のほとんどの地の文がそれで構成されている、「赤坂の思考」です。これは、作者が赤坂なのですから、真実認定ができる。そういう見方を以って、梨花の思考について精査をかければいいのです。

 

 

 

つまり、暇潰し編の梨花の思考を表したように見えるこのシーンは、『大石と赤坂が、梨花ちゃんはこう思ったことだろうという想像を書き込み、それが描写された』という説明がつけらるということになります。「梨花の思考」という、赤坂と大石が得ることができない情報について、それが描かれたのであれば信用性を疑えるのです。

 

 

大石「死体は神社の境内、賽銭箱の脇でした。……もっとも、シメたのは他の場所でしょうねぇ。全裸で素足。足の裏は汚れていませんでしたから」

赤坂「…………性的な変質者の犯行?」

大石「司法解剖の結果、性的暴行の痕跡は認められませんでした。……わかったのは、薬物で昏睡させられてから、あの場所へ運ばれ、腹部を切開、開腹。意図的に臓器を引きずり出して、四方に散らして見せました」

赤坂「…………昏睡?…では、開腹は死後ではなく?」

大石「…………」

赤坂「……なんて、…………惨い」

…彼女は、自らの死に至るまでの他の死を、もう少し具体的に言及していたように思う。……だということは、……少女は、…この無残な死に方までも、知っていた…?

 

 

 

赤坂と大石は、梨花が昏睡後に殺されたという情報をもっているのですから、最後の死は、ハンカチか何かで口を塞がれ、意識が遠くなって。二度と意識を取り戻せないという慈悲深い形で行われるっていう梨花の思考を予想することは可能です。奴らってのは、大石がずっと目を付けている園崎家のことでしょう。でも園崎が梨花を殺すわけがない、だから梨花の死だけは園崎の仕業じゃないんだろうなあ、っていう大石の推理を、梨花の思考として展開させているだけでしょう。

直前の梨花のセリフと、梨花の検死結果を踏まえれば、梨花はこのときこう思ったんだろうっていう想像が上記の文章だったとしても、矛盾がなくなります。

 

ということで、書籍という設定ならではの叙述トリックだった、本当は梨花は上記のような思考はしていない、ってことでいいんじゃないでしょうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

梨花「そしてさらに翌年の昭和58年の6月の今日。………あるいはその数日後か。…私が殺されます。全ての死が予定調和なら。……最後の死もまた予定の内なのでしょうか。…でも、ならばこれは一体、誰の予定なの…?」

 

 

 

 

 

梨花の計画にない、梨花の死。この死を絶対のものにしているのは、ひぐらしのすべてを見終えた者ならば、鷹野の意志によるものだと判明しています。しかしそれは、5年前のこの時点で予見できるものではありえないことに気づきますでしょうか。

 

なぜなら、鷹野が梨花を殺す意志をもったキッカケが、小泉氏の死去による、アルファベットプロジェクトの組織の変化だからです。これを梨花が予見することはありえません。小泉氏の死のタイミングが4年目と5年目の間でなければならないからです。このタイミングでなければ、鷹野が終末作戦を決行するタイミングは、年単位で前後します。つまり、5年目の死が鷹野の予定調和ならば、小泉氏の死が4年目と5年目の間であることが、5年前から決定しているってことになります。そんなことはありえません。

 

 

 

 

ならば、梨花の5年目の予言はなんなのか。これを紐解くための伏線が、皆殺し編にあります。

 

 

皆殺し編

だから、自分があの夜、どうして命を失ったのか、命を失うその瞬間から遡った記憶がノイズだらけで不鮮明になっているのだった。……曖昧な記憶の断片だけは少し残っていて、……ハンカチのようなもので口を塞がれて意識を失って……、 というようなイメージはあるのだが曖昧だ。多分、そうだろうとしか言えない…。

 

 

 

梨花のこの思考において、決定的におかしな部分があります。それは、死の瞬間の記憶がないのに、どうして自分が殺されたことがわかるのかってことです。

 

これは絶対におかしなことです。

鷹野が自分の腹めがけて刃物を振り下ろすシーンを最後の映像として記憶しているなら分かります。何者かが自分を橋から突き落とすシーンを最後の映像として記憶しているなら分かります。何者かが自分にバットを振り下ろすシーンを最後の映像として記憶しているなら分かります。白いワゴン車が猛スピードで自分の目の前まで迫ってきたことを最後の映像として記憶しているなら分かります。

 

でもこれらの記憶が存在しないことは、梨花自身が語っています。さらに、最後の記憶は何者かにハンカチで眠らされるイメージで、しかも多分そうだろうとしか言えない、ですって。なら、そうじゃなかったとしてもおかしくないわけですね。

 

 

 

 

どう考えたって、梨花が自分が死んだことを事実認定できる記憶など存在しないことがわかるかと思います。ならば梨花は、なぜ自分が必ず死ぬと "思い込んで" しまったのでしょう。ひとつしかありません。あなたは死に戻りをしたのだ、と『羽入が教えた』からです。

 

 

皆殺し編

梨花「………羽入。私は挫けない。この記憶がたとえ引き継げなくてもいい。がむしゃらに生きていく」

羽入「…………僕も忘れません…。きっと覚えてて、もし梨花が忘れていたらきっと僕が教えますから……!!」

 

祭囃し編

梨花「でも、わからない。……どうして鷹野が私を殺すの?だって、私は女王感染者で、私が死ねば大惨事になるんでしょう?」

羽入「…ぁぅ…、ぁぅ…」

梨花「ごめん、意味のない質問ね。…鷹野が私を殺す。それが真実なのであって、その動機なんか大した問題じゃないものね。」

 

梨花「みんなに、って。…圭一たちに、鷹野のことを相談しろと?『東京』という怪しげな組織に狙われているから助けてって、相談して、信じてくれると思ってるの…?」

羽入「信じてくれますです!!前の世界では信じてくれましたのです!!!何で梨花は、僕が言うのを信じてくれませんのですか…!!」

梨花「…ごめんなさい。信じないわけじゃないの。…羽入が見たんだから、それは真実なんだものね」

 

 

 

このシーンからわかるように、梨花は自分の記憶にないことであっても、羽入が言うなら事実なんだろうという前提が存在しています。ならば梨花は、自分がタイムリープして過去に戻ったその理由が不明だった初期に、羽入から「あなたが死んでしまったから過去に飛ばしたんよ」と教えてもらい、それを梨花が信じたと考えられるわけです。

 

 

 

 

 

では、羽入が伝えた梨花が5年目に死ぬという話は、本当のことなのでしょうか。これは、古手梨花 ループの実態で示した、羽入が幼い梨花の混乱を鎮めるために教えた、でっち上げの説明と同類のものであることが理解できるかと思います。

 

 

実際に何が起きているのかといえば、ループ現象の実態が判明している今、この現象を俯瞰すれば自然に浮かび上がる真実があります。それは、5年目までしかカケラが続かないのであれば、梨花の未来予想図は常に5年目までであるということ。梨花は常に5年目までを予測している、ということです。それはつまり、梨花の計画が、自分と沙都子の独立の邪魔になる存在を排除することで終わりとなるため、『計画が完了した先の未来を想像することができなかった』ことを表しているということなのではないでしょうか。

 

梨花が無意識下に保存している未来予想図のすべては、計画の終了までしかないってことです。それ以降に何が待っているのか、どれほど幸せな未来になっているのかってことを、幸せを実感したことのなかった梨花には想像に及ばなかったってことなのです。

 

梨花の計画は4年目に終了を迎え、5年目はマージンとして用意していたのでしょう。そのマージンを消化したならば、本格的に梨花がしなければならないことは無くなる、完了するのです。ですから、それ以降のストーリーを、梨花は未来予想図(カケラ)の中に含めることができなかった、ということなのです。

 

 

だから、5年目を過ぎた辺りで、想像がいつも途切れてしまう。カケラの体験が5年目までなのは、梨花の計画の終点がそこだからというただそれだけの意味でしかない現象なのです。羽入は、その『ただの現象』に対して、理由付けを行った。「梨花が死ぬから、それ以降に進めないんだ」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これこそが、羽入が梨花に伝えたかったメッセージ。

 

そう。

羽入は、梨花の凶行を、狂気を、なんとか止められないかと苦心し、『あなたの計画の先には、あなたの死しか待ち受けていませんのですよ』と伝えることで、計画の見直しを打診したかった。『どうやっても私が死ぬ運命は変えられないようね。計画を立てたからダメってことなのかしら。じゃあ止めようかな』って梨花が思ってくれないかと期待し、羽入は梨花に嘘をついたってことなのです。

 

 

 

Frederica Bernkastel ー 詩 綿流し編

 

あなたの乾きを癒せない。

真実を欲するあなたがそれを認めないから。

あなたの乾きを癒せない。

あなたの期待する真実が存在しないから。

それでもあなたの渇きを癒したい。

あなたを砂漠に放り出したのは私なのだから。

 

 

Frederica Bernkastel ー 詩 目明し編

 

砂漠にビーズを落としたと少女は泣いた。

少女は百年かけて砂漠を探す。

砂漠でなく海かもしれないと少女は泣いた。

少女は百年かけて海底を探す。

海でなくて山かもしれないと少女は泣いた。

本当に落としたか、疑うのにあと何年?

 

 

 

 

あなたの期待する真実が存在しないから。

本当に落としたか、疑うのにあと何年?

 

 

 

 

これは梨花が、5年目に必ず死んでしまう理由、その真実を探してずっとループし続けていることに対する答えです。そもそも必ず死んじゃうってことが、羽入がついた嘘なんだから、『死んでしまう理由なんて存在しない』ということです。だから、『っていうか私ってホントに5年目に死んじゃうの?って梨花が疑いだすのに、あとどんだけ繰り返すんだろうか』っていうことなのです。

 

 

 

 

梨花が5年目に死んでしまうことは、事実ではなく、そのように羽入に思い込まされてしまっただけ。年月が進み、5年目の直前に、鷹野が梨花を殺す計画を生みだしたことで、梨花が5年目に死ぬことが現実になってしまったのは、それこそ偶然だと思います。

 

 

ただ結局梨花は、自分の死を恐れずに計画を完遂しちゃいました。羽入の願いは届かなかった。だから羽入は最後に、賽殺し編という意地悪を行った。ってことなんでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

> TOP

 

> 0年目の祟り

> 1年目の祟り

> 2年目の祟り

> 3年目の祟り

> 4年目の祟り

 

> 鬼隠し編

> 綿流し編、目明し編

> 祟殺し編

> 罪滅し編

> 皆殺し編

> 祭囃し編